第55回 貧すれば鈍する

 著作隣接権が切れた音源を、LPやテープから復刻しているマイナー・レーベルがいくつかあるのはご存じだと思う。私はそのレーベルの1つであるGRAND SLAMを2000年から継続しているのだが、今年(2014年)半ば頃からだろうか、「レコード芸術」(音楽之友社)はこうしたレーベルの扱いを中止してしまった。その理由は大手のメーカーが「レコード芸術」に対し、「このようなマイナー・レーベルを扱えば、広告を取り下げる」と通告したからである。雑誌の主たる収入は広告である。ことに最近は多くの雑誌が広告収入の減少によって休刊、廃刊に追い込まれているご時世である。こうしたレーベルの扱いを中止したのは、「レコード芸術」にとっても、いわば苦渋の選択だっただろう。
 大手とは具体的に明らかにされていないが、DG、デッカ、EMI、RCAなどの原盤を保有している会社であることは明白だ。しかしながら、今回の措置は負の現象しか生み出さない、まさに誰もが喜ばないものなのだ。
 まず、こうしたマイナー・レーベルが雑誌で取り扱われないとなると、単純に言えば雑誌の情報量が減ることになる。お店にたとえれば在庫数の縮小ということになり、こうなると読者離れがますます加速するだろう。また、こうしたマイナー・レーベルのCDは現行法では全く問題がないのにもかかわらず、大手は主にネット上で大量に売られている違法CDR盤にはなぜか無関心である。違法盤に知らん顔をしておきながら、適法なCDを排斥しようとするやり方は非難されてしかるべきではないか。
 CDが思うように売れないのは誰もが言っていることだ。けれども、自分がやっていることを振り返りもせず、単に不況や他レーベルのせいにする大手の態度には、正直あきれてしまうし、あわれにも思う。たとえば、ユニバーサルミュージックからここ20年くらいに発売されたCDにはとんでもなくひどいものが多い。録音データの間違いなどは朝飯前で、オーケストラの表記は全然違うし、解説書の作りも雑だ。音は言うまでもないだろう。あるときこの会社から発売された廉価盤シリーズは、そのあまりの音のひどさに某販売店の担当者が嘆いていたほどだ。
 そもそも、こうしたマイナー・レーベルが作るものなど、高水準のものができるわけがない。つまり、2トラック、38センチのオープンリール・テープといったところで、オリジナル・マスターのコピーのコピーのコピー、さらにもう一度コピーといった程度のものだ。LP復刻もプチパチ・ノイズは避けられないし、内周の歪みはLPの宿命でもある。一方の大手メーカーは当たり前だが、オリジナルのマスターを保有している。マスタリングに使用する機械だって、私らが使っているものとは比べものにならない、プロ用のものである。だから、大手が普通に作っていれば、こうしたマイナーのCDなど、吹けば飛ぶような存在であるはずだ。
 この一件について、あるファンがこう返信してくれた。「LP復刻などが受け入れられている現状を、大手は冷静に分析すべきではないでしょうか」。まさにこれである。大手は自分たちが発売している商品にどんな問題があって、どう改善すればいいか、あるいはどうすればもっと多くのファンに受け入れられるか、そうしたことを全く考えもせず、暴力によって競争相手を排除しているのである。
 大手のメーカーの担当者は「レコード芸術」からマイナー・レーベルを締め出したことによって、これらのレーベルに打撃を与えたと思っているだろう。しかし、少なくとも私はそうは思っていない。私はむしろ逆宣伝になって「しめた」と感じている。雲の上の存在だと思っていた大手のほうから、こちらの次元にまで降りてきてけんかを売ってくれた、つまり対等と見なしてくれたわけである。そのゲームも、対戦相手の宿舎の空調を切り、食事には下剤を入れ、道具には細工をし、自分たちが勝てるように仕組んだものなのだ。こんなことしても、多くのファンの支持を得られないのは明白だと思うのだが、大手は全くそれをわかっていない。貧すれば鈍する、本当にかわいそうだ。
 あと、キザなことを言うようだが、大手はずいぶんと私のことをなめてくれたな、ということ。私もこの業界で30年近く生きてきた。表も裏も、いろいろなことを知った。こんな理不尽な仕打ちをしてくれるなら、こちらも大手がこれまでどれほどひどいことをやってのけたか、ここらでしたためてみようと思う。それも、こうしたメール・マガジンとかではなく、単行本のように“残る”媒体に。
 さて、話題は変わるが、2015年にはフルトヴェングラーの、ちょっと珍しいシリーズのCDを出すことになった。枚数は5点から7点ほど。残念ながら未発表はないが、でも内々にその内容を知らせると「それは面白い」とみんなが言ってくれた。ただし、このCDの情報だが、以上のような理由で「レコード芸術」では読めません。

(2014年12月30日執筆)

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第54回 追悼、ジョン・マックルーア

 ブルーノ・ワルター、レナード・バーンスタイン、イーゴル・ストラヴィンスキーなどの録音を多数手がけたアメリカ・コロンビアの元プロデューサー、ジョン・マックルーアが6月17日、バーモント州ベルモントの自宅で亡くなった。84歳とのこと。
 マックルーアは1929年6月28日、ニュージャージー州ラーウェイ生まれ。一時ピアノを習っていたが途中で挫折、大学も中退しているらしい。50年から音楽の仕事を始め、その後アメリカ・コロンビアに入社、最初は録音エンジニアとして働き、その後はずっとプロデューサーとして活躍した。
 私がマックルーアと直接連絡がとれたのは2010年の暮れか、11年の初め頃だと思う。連絡をとりたかった理由は、彼がその昔書いた「ブルーノ・ワルターのリハーサル――その教訓と喜びと」というすばらしい文章を、自分が作るCDに転載したかったからである(該当の文章はワルター指揮、コロンビア交響楽団、ブラームスの『交響曲第1番』=GS-2060、同『交響曲第2番』+『第3番』=GS-2061に分けて掲載)。その当時私はマックルーアはてっきり故人だと思い込み、遺族を探すことに躍起になっていたが、本人が元気でいたことに驚いてしまった。マックルーアとは電子メールでのやりとりだけだったが、彼は2度目のメールに返信してくれた際に「我々は友達だ、だからファーストネームだけでOK」と言ってくれ、その後もできるかぎりさまざまな情報を提供してくれた。彼からの情報はワルターのシリーズに適時掲載したのだが、生き字引からの手助けは非常に心強かった。昨年くらいからだろうか、CDを送っても何とも言ってこないので多少は気にしていたが、やはり6月に亡くなっていた。
 短い間ではあったが、伝説のプロデューサーと直接何回かやりとりできたのは、まじめにやってきたご褒美として感謝している。マックルーアと連絡がとれたばかりの頃、知人は「元気でいることがわかったのだから、直接会いに行くべきだ」と言っていた。そうすべきだったかもしれない。しかし、それはいまとなっては、どうすることもできない。
 私が気になっているのは、マックルーアが「回想録の準備をしている」と言っていたことだ。彼がそこまで口にしていたのだから、余命を逆算して、ほぼ完成しているものと期待している。無論現時点では具体的な情報はないが、出版されれば多くのファンには欠かせないものになることは間違いない。

(2014年8月15日執筆)

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第53回 招待席に巣食う妖怪たち

 たまに「仕事柄、たくさん演奏会に行けていいですね、うらやましい」などと言われることがある。年間を通じて数多くの演奏を、用意された招待席で聴けるのは業界関係者の特権でもあるだろう。でも、これが決していいことだけではない。私はむしろ、最近ではこの席に座ることが非常に苦痛になってきた。行けばまた不快になると思うと、足を運ぶ意欲を極端にそがれる。それは、このなかに巣食う妖怪たちのせいだ。彼らは決してお行儀よく演奏を聴いてくれないからだ。特にいやなのが、メモ魔という妖怪である。自分の前の席で、演奏中にひたすらメモをとられると、常にちょろちょろと動く物が視界のなかに入ってくる。それだけならまだましである。カバンや胸のポケットにあるメモ帳を何かあるごとに頻繁にガサガサと出し入れするし、それに合わせてカチカチというボールペンのノックの音や万年筆のキャップの音など、とてもうるさい。
 彼らはどうやら、演奏会評という仕事のために、ここに巣食っているようだ。だから、注意すると、仕事のためにやっていることだ、仕方がないと開き直ってくる。
『クラシック100バカ』(青弓社、2004年)にも書いたが、あるときあるメモ魔を注意したのだが、そいつは顔をぬーっと突き出して、「あのう、ボク、バカなんです」とのたもうた。
 5月30日(金)、日本フィルの定期演奏会(サントリーホール)で、私はまた新たな妖怪に遭遇した。以前にも何度か見かけたメモ魔である。いい年の男性だ。彼は例によって演奏が始まって1分もしないうちにペンを走らせていた。またか、と思った。すると、カバンの中に赤いランプが見える。途中からこのランプがチラチラと目に入るようになり、ペンを走らせる動きと相まって、実にうっとうしい。言うまでもないが、微弱と思われる光でも本番の最中だとかなり明るく目立つ。私はたまらず休憩時間になって、その人物に文句を言った。そのときの会話は以下のようなものである。
「あの、すみません、その赤いランプは何ですか?」
「あ、これはメモをとっているんです」
「そうじゃなくて、その赤いランプは何ですかと聞いているんです」
「批評の仕事をやってるんで」
「はあ? あんた録音してるんでしょう?」
「これはね、誰にも言ってないんだよ」
「言わなきゃいいってことじゃないでしょ! 違法行為じゃないか!」
(その後、事情を話したところ、事務所の担当者が血相を変えてこの男性の席へ急行、この男性の姿は後半にはなかった。)
 この男性はメモをとると同時に録音もして、完璧な批評に仕上げたかったのだろう。以前にも書いたが、メモをとっている瞬間は耳のほうがおろそかになっている。全く聴いていないとは言えないが、でも、注意力は間違いなく落ちている。つまり、まっとうに聴いていなければ、まともな演奏会評など書けるわけがないのだ。なぜ、ここを理解できないのだろうか。あと、別の理由として考えられるのは、メモをとる行為を堂々とおこなうことによって、自分は他人よりも真剣に聴いているそぶりを見せたがっているのかもしれない。
 スコアを持参してくる連中も困りものだ。特に速いテンポの部分になると、それに応じてページをめくる速度もどんどん速くなっていくので、これまた目障りである。
 このような状況だから、本当に自分で聴きたい演目はチケットを購入して聴くことにしている。そうした際にもときどき困った人に出会うが、彼らはそれとなく注意するとちゃんとわかってくれる。でも、妖怪たちはわかってくれない。
 1980年代、私がこの業界に入った頃には、招待席にはこんな妖怪たちはすんでいなかったように思う。ところが、最近はうようよいるのだ。先ほど触れたメモ&録音妖怪は、いまもなおほかの演奏会ではせっせとメモし、録音をしていることだろう。そして、自宅にたまったメモ帳と録音のコレクションを見て、ほくそ笑んでいるに違いない。この妖怪たち、いったい誰が退治してくれるのだろう?
 とても、私1人の手には負えません。

(2014年7月20日執筆)

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第52回 幻のカリンニコフ

 ヴァシリー・カリンニコフ(1866―1901)はロシアの早世の作曲家。残された作品は非常に少ないが、『交響曲第1番』はその魅惑的な旋律によって最近では人気が高い。演奏もしやすいと見えて、アマチュア・オーケストラでもときどき取り上げられるほどである。
 今年の6月、『交響曲第1番』をアレクサンドル・ラザレフが振るという(オーケストラは日本フィル)。ロシアものはもちろん、ドイツものだって個性的な演奏で楽しませてくれるラザレフだが、カリンニコフとなればロシア好きには見逃せない機会である。
 ところが、この『交響曲第1番』が演奏されるのは6月8日(土)・横浜みなとみらいホールと9日(日)・相模原女子大学グリーンホールの2日間だけで、東京で演奏会には含まれていない。そこで私は、都合がいい9日に行こうと思った。ただし、チケットを手にするのがちょっと遅かった。4月の半ばだっただろうか、はっと思い出して9日のチケットを2枚購入したのだが、チケットに同封されていたチラシを見て驚いた。なんと、メインはお目当てのカリンニコフではなく、ブラームスの『交響曲第1番』に変更されていたのだ(8日はカリンニコフで変更なし)。
 2014年3月から7月までの演目を掲載した日本フィルのチラシには、6月9日はずっとカリンニコフのままである。そこで日本フィルの事務局に問い合わせてみると、相模原市民文化財団の主催なので、そちらに問い合わせてほしいとのことだった。ちょうどこの頃、引っ越しのドタバタがあったので、この変更の件について相模原市民文化財団に電子メールで問い合わせをした(合計3回も)。ところが、気づいてみたら、返答は一切なしである。
 変更の理由は容易に推測できる。カリンニコフだから、お客が呼べない、もっと有名な作品をということでブラームスに変わったのだろう(ちなみに8日、9日ともに前半はショパンの『ピアノ協奏曲第1番』、独奏は上原彩子)。言うまでもないが、カリンニコフ目当てでチケットを買った人には大迷惑である。それに、この強引な変更は別の面でも悪影響が予想される。つまり、2日間の公演でメインが全く違う曲となると、オーケストラには負担が大きいし、仕上げが十分ではない演奏となる可能性も大きくなる。けれども、相模原市民文化財団にとっては、ファンがどういう目的でチケットを買うかとか、より上質な演奏を聴いてもらうにはどうしたらいいのか、そんなことはどうでもいいことなのだ。チケットさえ売れれば、問題なしである。
 でも、私自身にも落ち度がある。しょせんは山手線の外側の公演である。素人が切り盛りしている公演なのだから、チケットを購入する前には十分注意を払う必要があった。
 公演当日、会場で全額の払い戻しを要求しようと思ったが、3度メールしても全くなしのつぶての財団を相手にしても無駄だろう。2枚1万円で買ったチケットは知人に半額の5,000円で譲った。会場で不愉快な思いをするよりも、知人に喜んでもらったほうが結果的にすっきり解決したと判断した。ただ、相模原市民文化財団の主催の公演には、未来永劫行かないことを心に誓った。

(2014年5月29日執筆)

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第51回 とりあえず、ひと区切りか

 2008年3月に発売された拙著『クラシック名曲初演&初録音事典』(大和書房、A5判、368ページ)が品切れとなった。前書きにもあるように、この本は約12年かけて完成させたものだった。校正も、下書きの原稿がかかった時間に準じて、予想をはるかに上回る手間がかかった。著者、担当編集者(非常に優秀)は無論のこと、外部の編集プロダクションにも校正を依頼し、そこでは4人でページを分担して修正が加えられた。言うならば、6人がかりで練り込んだものである。校正が完了するまでの2カ月半、私自身は1日たりとも休日はなかったが、でもおかげで精度は非常に高いと思う。この本は日頃自分でもよく使うが、つらつらながめてみても、よくぞこんな化け物みたいな内容を書いたものだと、自分でも驚いている。
 いま、頭のなかにぼんやり描いているのは、この本の増補改訂版である。幸いにして重要な間違いはなさそうだが、扱えなかった作品、入稿までにSPやLPが手に入らなかったものなど、心残りはいくつかある。それに、つい最近知人から助言を得たこともあった。ただ、具体的にそんな話があるわけではなく、目下のところは自分で勝手に希望しているだけだが。
 あと、内輪の話をしておくと、この本はまず重版はしないと見ていいだろう。まず、この本の企画を推進してくれた責任者、および実際に校正を担当した編集者ともに、すでに大和書房を離れていること。さらに、マニアックな内容であり、3,000円(税抜き)の価格も考慮すると、重版の可能性は限りなくゼロに近い。
 ということで、気にしていながらまだ買ってない人には、流通在庫があるうちにどうぞ、と言っておきたい。中古の値段が上昇した頃になって、「なんとかならないか」というような連絡をくださるのだけは勘弁してもらいたい。いずれにせよ、自分ではとりあえず、ひと区切りついたなと思った。

(2014年4月4日執筆)

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第50回 フランス・ターラの主宰者、ルネ・トレミヌの訃報に驚く

 今日は午前中に、あの、めんどうな確定申告書を提出(まだe-Taxではない)、午後はなかなかエンジンが稼働しない感じで仕事を進めていた。ところが、そこにびっくりするようなニュース、それもとっても悲しい知らせが届いた。近年最も旺盛な活動を続けていたフランスのヒストリカル・レーベル、ターラ(Tahra)の主宰者であるルネ・トレミヌが急死したというのだ。聞くところによると、先週の水曜日に病院に行き、その翌日には天に召されたという。69歳、あまりにも早い。
 2012年の4月、パリで一度だけルネに会った。無論、そのときはルネのパートナーであるミリアム・シェルヘンも一緒だった。その会合のあと食事をすると事前に聞いていたのだが、「次に行かなくてはならないところがある」とのことで、それほど長くはしゃべらなかった。見た目は言ってみれば、普通のオジサンである。「気難しいやつ」と耳にしたような気もするが、私にはそう思えなかった。とても友好的だと感じた。私がルネやミリアムに話かけると、ときどき2人でフランス語で何やら言葉を交わし、こちらには再び英語で答えが返ってきたのを覚えている。ちょうどフルトヴェングラーのボックスLPのジャケットの試作品がテーブルに並べられ、それについてあれこれと言い合っていたのだ。まさか、あれが最後の出会いだとは。前後関係ははっきりしないが、彼ら2人は狭いパリの中心街から、広々とした農家に移り住んだばかりだった。確かルネから届いたメールでも「とてもいいところだから、一度遊びに来てください」と言われたと思う。
 メールの受信トレイを見てみたら、ルネから届いたメールのいくつかが残っていた。私がいくつか質問したことに対して、彼はきちんと答えてくれている。彼もまた、「こんな音源はどうだろうか?」「この企画についての意見を聞かせてほしい」とか言ってきていた。
 面白かったのは「日本でグランドスラムというヒストリカル・レーベルがあるようだが、これはいったい何だ?」とルネが日本のレコード会社に問い合わせてきたことだ。そこで私は彼に自分が作ったフルトヴェングラー関係のCDをほとんど全部送ったのだが、ちゃんとお礼の返事をくれた。
 ターラはルネとミリアムの二人三脚で運営していたレーベルである。ルネが不在となってしまっては、今後このレーベルがどうなるかが心配だ。いずれにせよ、このレーベルから出たものによって、多くのファンが狂喜したことは間違いない。私は、ファンを代表してお礼を言いたい。ありがとう、ルネ!

(2014年2月17日執筆)

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第49回 佐村河内騒動について

 昨日から、佐村河内守が作曲した作品が、実はすべて他人が書いたものだったとのニュースが大きく報道されている。私はこのニュースを聞いたとき、レコード会社はさぞや大変だろうなと思ったが、それ以外のことについて、たとえば憤るとか、そういうふうには感じなかった。ふと思い出したのはフリッツ・クライスラーだ。彼は自作の小品に偽名をつけ、「修道院で発見した」「図書館に埋もれていた」などとウソを発表し、あるときそれらすべてが自作であることを公表、多くの研究者や音楽評論家をカンカンに怒らせた。無論、このクライスラー事件と今回の騒動とは同一視はできないが、でも、似ていると思った。
 私も『交響曲第1番「HIROSHIMA」』や『ピアノ・ソナタ第1番』を聴いたが、どうにも共感できず、それらについても特に何か書くことはなかった。テレビの報道では、「絶望を経て書いた作品」「東日本大震災の被災者への思い」といった情報を頭に入れて聴いて感動した人たちがかわいそうだ、というようなことを言っていた。でも、これはおかしな発言だ。なぜなら、テレビはやらせが当たり前の世界である。ありもしないことを作り上げて受けを狙っているからだ。視聴者だって、そうしたやらせを日々喜んで受け入れているではないか。だから、今回の件も大がかりなやらせがおこなわれ、それによって多くの人が感激したのだから、その点についてだけ言えば、特に大きな問題ではないと思う。
 法的な問題が絡んでくるから、この佐村河内事件はしばらくくすぶるだろうが、でも、書かれた作品は全く変わりようがない。周辺の情報をいったんリセットし、もう一度作品に接すれば、初めてこれらの作品が正当に評価されるだろう。

(2014年2月6日執筆)

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第48回 日本ムラヴィンスキー協会の天羽健三さん逝く

 日本ムラヴィンスキー協会の事務局長だった天羽健三(あもう・けんぞう)さんが2014年1月23日、76歳で永眠された。
 私が天羽さんと初めて会ったのは、2000年の初頭だと記憶する。以後、もっぱらエフゲニー・ムラヴィンスキーを中心に、ヤンソンス親子やレオニード・コーガンなど、主に旧ソ連関係のアーティストについての情報交換を通じてお付き合いがあった。柱となっていたムラヴィンスキー協会は、話題が底をついた状況ゆえに近年は休止状態になっていたが、その代わりにかつてムラヴィンスキーの通訳を務めていた河島みどりさんのトーク・イベントを開催するなど、地道な活動を続けておられた。昨年の夏前だと思うが、河島さんのイベントでお目にかかった際には普段と全く変わりない様子だったが、秋には急遽入院したと聞いた。しかし、11月には退院されたとの知らせを受けたので、私は暖かくなった頃にご連絡を差し上げようと思っていた矢先に訃報が届いた。
 天羽さんの最大の功績は、ムラヴィンスキーのディスコグラフィとコンサート・リスティングを制作したことだ。ディスコグラフィは最初に協会の会員用として配布後、自費出版など何回かの改訂を経ている。その間に録音データの精度は増し、世界各国で出たディスクの情報を限りなく収集するだけではなく、個々のディスクを試聴して多くの誤表示も指摘してあった。一方、コンサート・リスティングは、わざわざロシアにまで足を運び、あまり整理されていない資料のなかから必要な記録だけを抽出するという、非常に困難な作業を経て完成されたものだった。これも、ディスコグラフィ同様、何回か改訂されているが、双方の最終形は天羽さんご自身が訳したグレゴール・タシー『ムラヴィンスキー――高貴なる指揮者』(〔叢書・20世紀の芸術と文学〕、アルファベータ、2009年)の巻末に収められている。この本は本編ともども、ムラヴィンスキーを語るうえでは最も重要な資料だろう。
 私はたまたまムラヴィンスキーの生演奏を2回聴いたということで、ムラヴィンスキーについて書く機会をいくつも与えられてきた。その際、天羽さんのディスコグラフィとコンサート・リスティングがどれほど役に立ったかは語り尽くせないほどだ。これまで偉そうな顔をして書いてきたけれども、この2つの偉大な資料がなければ、ほとんど自分では何もできなかっただろう。改めてこの天羽さんの労作に、心から感謝する次第である。
 最後に、天羽さんのごく大まかな履歴を。生まれは1937年、韓国の釜山。高校まで和歌山で過ごし、京都大学入学後は機械工学を専攻。その後、東芝で原子力発電の設計に30年間従事。聞くところによると、東日本大震災による原発事故は天羽さん自身にとても大きなショックだったようで、ときおり「自分が何かできることはないか」と漏らされていたようだ。
 2月2日、天羽さんの葬儀がおこなわれた夜、そのときは珍しいくらいの濃霧だった。視界が非常に悪かったために電車のダイヤは大幅に乱れ、タクシーもまるで手探りのような運転だった。深夜、そんななかを歩いていると、いつもの風景が全く別物に見えた。それはまるで、異国をさまよっているかのようだった。偶然だったのかもしれないが、私にとっては忘れられない別れの夜となった。

(2014年2月5日執筆)

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第47回 『フルトヴェングラーを追って』、発売後2週間で増刷決定!

 拙著『フルトヴェングラーを追って』(青弓社、2014年)が発売後、わずか2週間で増刷が決定した。これは、単純にうれしい。無論、初刷も第2刷も部数は少ないのだが、この出版不況のなかにあっての増刷は、ちょっと胸を張ってもいいかもしれない。フルトヴェングラーにも感謝、である。
 すでに直接感想を寄せてくれた人がいるが、そのなかで最も多かったのは「フルトヴェングラーのSACDについて」だった。私と同じように、「いったいどこがいいのか、さっぱりわからない」と悩んでいたファンが、本書を読んで我が意を得たりと納得してくれたのである。続いて多かったのは、「レコード年表」を喜んでくれた人。「見ていると、次々にいろいろなことを思い出しました」「フルトヴェングラーが他界した時点で終わっているのではなく、現在まで続いているのがよかった」など。あとは「手前味噌」、自分の作ったCDの制作裏話である。私自身はそんなに面白いとは思わないけれど、でも多くの人が楽しんで読んでいるのは間違いないようだ。そうなると、フルトヴェングラー以外のCDについても、〝自作CD裏話〟などとして1冊にまとめたら受けるだろうか。何せ自前レーベルのCDは予定も含め、いまや110タイトルにもなる。そのうちの4割がフルトヴェングラーだが、それ以外はブルーノ・ワルター、カール・シューリヒト、ハンス・クナッパーツブッシュ、ポール・パレー、ピエール・モントゥー、ヘルベルト・フォン・カラヤンなどである。特にワルターは、かつてのコロンビア・レコードのプロデューサーだったジョン・マックルーアとも直接連絡がとれ、実に多くの情報を得ることができた。つらつらと思い出してみると、それなりにネタはあるかもしれない。真剣に考えてみようか。
『フルトヴェングラーを追って』をインターネットで検索していたら、「Amazon」のカスタマーレビューがたまたま引っかかってきた。ふーんと思った。投稿者はたとえば、本書の「メロディア/ユニコーン総ざらい」の項について「特に目新しいものはない」と書いている。この文章の一部はベートーヴェンの『交響曲第9番「合唱」』(GS-2090/2013年1月発売)の解説にも書いていて、内容の一部は重複するが、ユニコーンの創設者ジョン・ゴールドスミスやイギリス・フルトヴェングラー協会会長のポール・ミンチンなどの顔写真は、ゴールドスミスから提供されて初めて確認できたものだ。それ以前、国内の出版物に彼らの写真は使用されたことはないと思うし、日本国内でもこの2人の顔を認識できるフルトヴェングラー・ファンはほとんどいないと思われる。そして、最後のほうには私以外の、わずかに1人か2人の関係者しか知りえない情報も記してある。そもそも、メロディアとユニコーンについて、これだけ系統だって記した文献は過去に日本国内ではもちろんのこと、海外でさえも例はない。にもかかわらず、この「Amazon」の投稿者は「目新しいものはない」と断じている。そうなると、この人物は、それこそ化け物のようにフルトヴェングラーに関する知識と情報をもち、なおかつ内部情報さえも見透かす神通力の持ち主ということになる。近々、この投稿者と連絡がとれることがあれば、こちらから頭を下げて教えを乞うとしよう。さすが、世の中、上には上がいるものである。

(2014年2月4日執筆)

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第46回 書き下ろし、『フルトヴェングラーを追って』が完成

 2014年1月22日に、拙著『フルトヴェングラーを追って』(青弓社、四六判、288ページ、定価2,000円+税。参考〔/wp/books/isbn978-4-7872-7345-1〕)が発売される。これは『クラシック100バカ』(青弓社、2004年)、『クラシック名曲初演&初録音事典』(大和書房、2008年)、『クラシック・マニア道入門』(青弓社、2011年)に続く、4冊目の書き下ろしである。詳細は上記の青弓社のウェブサイトで確認していただきたいのだが、とにかくヴィルヘルム・フルトヴェングラーのディスクに焦点を絞り、そこを徹底的に掘り下げたものである。写真は通常のSP、LP、CDのレーベルやジャケットは無論のこと、さまざまな肖像、リハーサル風景、プログラム、チラシなど、200点以上も含まれる。この本のおかげでこの年末年始は1日も休めず、12月に入ってから続けて40日も無休だった。けれども、08年の『クラシック名曲初演&初録音事典』は08年1月2日から約2カ月半、全く無休だったのに比べると、今回はずっと楽だった。
 本書を校正していて、ある一定の速度で書いたのはいいのだが、文章が相当に隙だらけだったことを反省した。速く書いても、もっときちっと書けるようにしなくてはならないのだ。もう1つ感じたのは、精度を上げることの難しさである。章ごとに書いた時期が異なるとはいえ、表記の不統一をはじめ、見落としや思い込みがあちこちに散乱していた。校正は初校、再校、再々校、そして印刷に入る直前にもう一度、合計4回も見直したわけだが、特に3度目の再々校は「それまで何を見ていたの?」と言われても仕方がないほどたくさんの赤字で埋まった。もちろん、この4回の間には編集者のチェックも入るのだが、それでも次々と修正が出てくる。ちなみに、『クラシック名曲初演&初録音事典』は筆者、担当編集者、外部スタッフ4人(全体を4分割して集中的にチェック)が総出で原稿を見ていたのである。『フルトヴェングラーを追って』にも、あってはほしくないが、おそらくいくつかの間違いは含まれているだろう。そう思うと、ほとんどノー・チェックで垂れ流されているインターネットの情報が、いかに精度が低いかがわかるというものだ。
 今回、こうしてフルトヴェングラーの本を1冊出してみて、自分の頭のなかではいろいろなことが整理された。それに、大小さまざまな新規の情報は、まだまだ掘り起こせるのだという手応えも感じた。加えておきたいのは何人かの協力者に対する感謝である。彼らについては「あとがき」に記しているが、その方々のおかげで本書がいっそう読み応え・見応えのあるものになった。
 本書とほぼ並行して、フルトヴェングラーのCDの仕込みを2点分おこなった。その過程でもいくつかの発見はあった。そのような次第なので、自分にとってフルトヴェングラーは、引き続き追い続けなければならない対象のようだ。

(2014年1月14日執筆)

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