第2回 木村拓哉と『さんタク』

太田省一
(社会学者。著書に『紅白歌合戦と日本人』〔筑摩書房〕、
『中居正広という生き方』『社会は笑う・増補版』〔ともに青弓社〕など)

ドラマからバラエティーへ

「星に当たってしまった少年」。前回は、宮崎駿が語ったこの言葉に導かれながら話を進めた。
 木村拓哉が主演したドラマに、「星」という言葉がタイトルに入った作品がひとつだけある。2002年にフジテレビ系で放送された『空から降る一億の星』である。『あすなろ白書』(フジテレビ系、1993年)、『ロングバケーション』(フジテレビ系、1996年)、『ビューティフルライフ』(TBS系、2000年)の北川悦吏子脚本による「月9」枠の恋愛サスペンスだ。
 放送前から大きな話題になっていたのが、木村拓哉と明石家さんまの初共演だった。しかもさんまは「月9」自体、初の出演だった。とはいえ、俳優としての実績はすでにあった。1986年に主演し高視聴率を挙げた『男女7人夏物語』(TBSテレビ系)である。このドラマは、独身男女のもつれる恋愛模様を都会の風俗を交えて軽快に描き、「月9」の代名詞となったトレンディードラマの原点ともされる。その意味ではさんまに「月9」との縁がないわけではなかった。
 そうしたなか始まったドラマでは、木村拓哉がフレンチレストランのコック見習い・片瀬涼、明石家さんまが刑事・堂島完三、深津絵里がその妹・堂島優子にそれぞれ扮し、殺人事件と3人の過去の秘密が絡みながら物語は展開していった。全話の平均視聴率が22.6パーセント、最終話がその年の連続ドラマで最高となる27.0パーセント(いずれも関東地区。ビデオリサーチ調べ)と数字的にも上々の結果を残した。
 そしてこの共演がきっかけで木村拓哉と明石家さんまは交流を深め、2人による番組が企画される。2003年に始まり、いまや毎年正月恒例となっているバラエティー特番『さんタク』(フジテレビ系)である。
 この番組、お互い未体験なことや苦手なことに挑戦するというのが一貫したコンセプトだ。何をするかを決めるトーク部分から始まり、実際に挑戦し、その余韻のなかでのエンディングでは木村拓哉がギターを手に弾き語りを披露するなど、正月番組ということもあって2人のリラックスした表情を見ることができる。
 その際、未体験なものに挑むということから、お互い相手のフィールドへの挑戦が企画になることもある。2015年の放送では、さんまがSMAPのツアーのステージにサプライズ登場し、木村拓哉と「アミダばばあの唄」をデュエットした。
 そして今年2016年の放送では、そのアンサー企画ということで木村拓哉が吉本の本拠地である劇場なんばグランド花月でさんまとともに人生初の舞台コントに挑むことになった。『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)でコント自体は数多くこなしているが、生の観客がいる舞台でのコントには、まったく違う緊張感があるのだろう。さんまと2人でアリクイに扮してのコントだったが、その緊張は終始見ている側にも伝わってきた。だが本番は初めてということを感じさせない出来栄えで、客席も大いに盛り上がるなかで無事終了した。
 SMAPの他のメンバーがそれぞれレギュラーのバラエティー番組があるのに対し、現在木村拓哉個人にはない。しかし、ちょうど20周年を迎えた『SMAP×SMAP』などで見せてくれるコントやトークでの姿も彼を知るうえで忘れてはならないものだろう。そこで今回は、木村拓哉にとってのバラエティーとは何なのか、そしてそこに見て取れる彼ならではの魅力を探ってみたい。

録画再生能力

『空から降る一億の星』で木村拓哉が演じる片瀬涼には、物語のうえでも鍵となる特殊な能力がある。それは、どんなものでも一度見たら正確に記憶する能力である。例えば、ラックに並べられた数十のビデオパッケージのタイトルを一瞬見ただけで覚え、それが崩れてしまっても元の順番どおりに並べ直すことができる。
 実は面白いことに、それと似たようなことを木村拓哉は自分自身についても語っている。それを彼は“録画再生能力”と呼ぶ。つまり、「映像を頭に焼き付けて、再現する」ことができるというわけである(木村拓哉『開放区』集英社、2003年)。
 さんまは今年の『さんタク』のなかで「お前は覚えが早いから1日2時間だけ稽古すればいける」と言っていたが、この“録画再生能力”は、木村拓哉がさまざまな場面で私たちに感じさせてくれる勘のよさの秘密なのかもしれない。一つひとつ順を追って習得していくのではなく、全体を一気に把握することができる。例えば、彼の趣味のひとつであるサーフィンについてもそうだ。「波乗りに行く前は、プロのサーファーのビデオを見てから行く。自分が海に入ったときに、「ああやって、波に対して構えてたな」とか、「こうやってからだを傾けてたな」っていうのを思い出してやってみる」(同書)
 当然それは、ドラマなどでも役に立つ能力だろう。実際、木村拓哉は、セリフを覚えるときには一度頭のなかでストーリーの流れを自分なりにビジュアル化したり、台本のページそのものを頭のなかに入れたりするという(同書)。
 前回、木村拓哉にはプレーヤーとしての矜持があるということを書いた。彼にとって、プレーヤーであることは他のどのポジションにも代えがたい喜びである。この話もまた、そんなプレーヤー・木村拓哉の姿勢を示すものにちがいない。作家なり脚本家なりが作った世界観のなかに入り込み、そのなかで与えられた役柄を全うすること。そのことを楽しみ、また同時に自分に課している姿がうかがえる。
 そしてその能力はおそらく、ドラマや映画だけでなく、バラエティーにも生かされているはずだ。
 それを実感させる場面は、『さんタク』にもあった。コントの事前の打ち合わせのときのことだ。木村拓哉は、明石家さんまから共演する次長課長・河本準一の持ちギャグである『サザエさん』のマスオさんのセリフ「えぇーっ!?」の物真似をやるように言われた。突然言われて驚く木村拓哉。だが彼は、即座にそれを完璧にやってみせた。
 振り返ってみても、『SMAP×SMAP』の初期の名作コントのひとつ「古畑拓三郎」などもそうだった。田村正和扮する古畑任三郎の物真似をする人は少なからずいるが、あそこまで“完コピ”できた例は、そうないだろう。あるいは、ドラマ『探偵物語』(日本テレビ系、1979―80年)の松田優作を真似た「探偵物語ZERO」の工藤や小室哲哉の独特のクネクネした動きを見事に再現したフラワーTKなども同様だ。
 そこには、単なるパロディーというだけにはとどまらない、対象に没入し、同化してしまうような観察眼の鋭さが感じられる。だがそうしたことも、彼の“録画再生能力”のことを知れば十分納得できる。物真似をすることは、その意味では台本を覚えることと同じなのだ。

現場の人・木村拓哉

 しかし、それをただコピー能力が高いというだけで片づけてはならないだろう。それは大前提としてあり、さらにそれ以上のものを見せてくれるところにプレーヤー・木村拓哉の本領はあると思えるからだ。
 なんばグランド花月でのコントのときにも、そんな場面があった。朝5時のカラオケ屋という設定。疲れて寝ているさんまと河本、そして木村拓哉。ふと目覚めて「いま何時?」「女の子たち、もう帰った?」というフリのあとに木村拓哉が「うわっ、さっきの娘たちから、すごいライン来てる」とアドリブを発すると会場は爆笑に包まれた。
 プレーヤーであるとは、現場の人であるということだ。人生初の舞台コントの緊張感のなか、木村拓哉は実際始まってみたら観客の反応をギャグにしたりするなど、ライブでの強さを随所に感じさせた。その象徴が、このアドリブだったといえるだろう。
 ただ木村拓哉にとって現場とは、こうした観客がいるような場だけを指すのではない。
 何度か裏話として語られていることだが、『SMAP×SMAP』のスタジオ収録の際、木村拓哉は待ち時間でも楽屋に戻らず、スタジオ前の控え場所である前室にずっといるという。そこもまた彼にとっては現場だからだ。「基本、出演者の役割は現場にいることだと思ってるから。本番だけが仕事じゃない。セット転換だったりコーナーが変わったりしているスタジオ内の動きを感じていたいし。メークさんや美術さんとちょっとコミュニケーションをとれるところにいたいってのもあるかな」(『SMAP×SMAP COMPLETE BOOK――月刊スマスマ新聞VOL.2~RED~』〔TOKYO NEWS MOOK〕、東京ニュース通信社、2012年)
 ここでも、木村拓哉のプレーヤーとしての意識は一貫している。本番中だけでなく、収録の準備にスタッフが働いている場所もまた、彼にとっては現場である。「何を食うか、何をしゃべるか、何を歌うか。考えてくれるのもスタッフだし。スタッフがいて、初めて成り立っていることだから」(同書)
 スタッフへの感謝の念も当然あるだろう。同時にこの言葉からは、セリフがすべて台本で決まっているわけではないバラエティーで、出演者、つまりプレーヤーとしてどのような立ち位置にあるかを彼が常に自覚していることがわかる。
 そこからひとつ出てくる答えが、視聴者目線に立つということだ。「自分がスマスマの中で発する言葉とかって…なんか全然、業界目線じゃないんだよね(笑)。ホントに、視聴者の人を代表してしゃべってるような感じかな」(同書)
 海外からの有名スターや普段ほとんどテレビに出ないようなアーティストが出演することも多い『SMAP×SMAP』で、木村拓哉が見せる反応は確かに驚くほど素直である。特に「やっべえ」とか「すっげえ」とかいった感嘆詞が発せられる頻度は、他のSMAPのメンバーよりもかなり多い印象だ。それはきっと、彼が「視聴者の人を代表」することをどこかでいつも意識しているからなのだろう。そしてそのことによって、テレビの前の私たちも彼らと同じ現場の人になることができるのだ。

下ネタの意味

 バラエティーでのそうした姿からは、木村拓哉の「素」の部分も垣間見える。それは、「カッコいい」という言葉で括られがちな木村拓哉という存在の、違う人間的魅力を教えてくれる。
 例えば、2014年のフジテレビ『FNS27時間テレビ』がそうだった。SMAPが総合司会を務めたこの年、深夜恒例の「さんま中居の今夜も眠れない」のコーナーに中継で登場した木村拓哉は、セクシー女優相手に“暴走”した。ハニートラップにかかり、痛い目に遭った経験をもつさんまのために安全なセクシー女優を紹介しようというコンセプト。そこで木村拓哉は居並ぶセクシー女優を相手に下ネタお構いなしで仕切り、むしろさんまや中居正広があわてて抑えようとしたくらいだった。
 その中継が終了したCM明けのこと。「さんまさんに楽しんでもらうために身を削って頑張ってくれた」と中居がフォローすると、さんまは「身を削ってないよー、あいつ。あいつ、あんなんやで」と返す一幕もあった。
 このさんまの言葉は、木村拓哉のラジオ番組『木村拓哉のWHAT’S UP SMAP!』(TOKYO FM)を聞いているファンであれば、大きく頷けるものだったかもしれない。
 1995年に始まったこの番組では、彼の飾らない魅力が存分に楽しめる。その象徴が下ネタで、女性の下着の好みについて事細かに語ったり、自分の性の目覚めに絡んでボディコンブームの思い出を語ったりとほとんど定番化しているといってもいい。
 そこから伝わってくるのは、彼の等身大的な少年の部分だ。聞いているのは同性ばかりではなく、むしろ当然女性のほうが多いだろう。しかし、そこには思春期の少年が同年代の友人同士で交わす下ネタのノリが感じられる。『27時間テレビ』の“暴走”も、そうしたかわいげを感じさせる部分があったからこそ笑いに昇華できたのだろう。
 このラジオの仕事で木村拓哉と知り合った放送作家・鈴木おさむは、同じ1972年生まれの同級生、まさに同年代の友人だ。そんな鈴木おさむとの何げない会話のなかから生まれたコントが、『SMAP×SMAP』の人気キャラクター「ペットのPちゃん」である。「移動で飛行機に乗ってる間、おさむとずっと「こういうやつが、こんなことして、こんなこと言ったら、面白くない?」と話していって。(略)ピンクの犬の着ぐるみを着てるやつなんかも、飛行機のなかでずっと話して作ったもののひとつだよね」(「Bananavi!」vol.001、日本工業新聞社、2014年)
 Pちゃんのコントも、ご存じのように下ネタのノリがベースにある。このキャラクター、木村拓哉扮する犬のPちゃんが飼い主である稲垣吾郎扮するパパの目を盗んでママや遊びにきた女性ゲストに突然人間の言葉を話し、誘惑し始める。
 こうした下ネタは『SMAP×SMAP』には珍しく、当初はコーナー前に「大人の方のみご覧頂けます」とのクレジットも出ていたほどだ。最近では主婦の不倫を描いて話題になったドラマ『昼顔――平日午後3時の恋人たち』(フジテレビ系、2014年)のパロディーコント「昼顔」もあるが、「ペットのPちゃん」は番組開始直後の1996年5月から始まっている。となると、下ネタはやはり、年齢に合わせた題材の変化というよりは、木村拓哉の「素」の部分からくるものであることがうかがえる。

色気のありか

 また木村拓哉は、自分でも認めるように「エロい」という表現をよく使う。しかしこの場合は、単なる下ネタとは違って、人がもつ色気を木村拓哉流に表現したものだ。年齢に関係なく、「向こうに何があるのか見たかったら、多少の塀ならよじのぼっちゃうような感じ」(木村拓哉『開放区2』集英社、2011年)と木村拓哉はそれを例える。いかにも冒険心あふれる彼らしい表現だ。
 そしてそういう人に多く出会えるのは、仕事の現場だという。「それぞれのパートで、それぞれ担っている責任を、個性を駆使して果たしている。おもしろいボキャブラリーを持っているし、引き出しも多い。名刺なんて必要なくつき合える」。つまり、「根っこの部分の人間的魅力」があってこその色気なのだ(同書)。
 ではそんな色気はどうすれば醸し出せるのか? 木村拓哉はこう答える。「それは自分の足で動いて、いろんなものを見て、たくさん感じること。たぶんライブの動きひとつにしても、憧れたアーティストのステージングを見たからこそ生まれるものだろうし、被写体になるときも、好きな写真集を見てなかったらできない表情をしてるかもしれない」(同書)
“録画再生能力”は、こんなところにも発揮されているといえるだろう。ライブのステージングやカメラの被写体になるときの表情。当然ドラマや映画でひとつの役柄を演じるときもそうだろう。そしてコントでも。
 そう言われると、木村拓哉のコントキャラクターは一様にどこか「エロい」。パラパラブームに一役買ったバッキー木村や「ホストマンブルース」のホスト・ヒカルのような設定からしてそのようなキャラクターはもちろんだが、「スマスマ高校メガネ部っ!」のキャプテンのような、瓶底メガネに奇妙なカツラという扮装をした、気弱そうなキャラクターでもそうだ。このキャプテンのイメージは、木村拓哉が描いたスケッチがもとになっているという(『SMAP×SMAP COMPLETE BOOK――月刊スマスマ新聞VOL.3~BLUE~』〔TOKYO NEWS MOOK〕、東京ニュース通信社、2012年)。その点、ここでも彼の記憶の蓄積、“録画再生能力”が一役買っているのだろう。
 またあでやかさという意味では、いくつかの女性・女装キャラも思い浮かぶ。「竹の塚歌劇団」の愛ゆうき、「ギャル店員シノブ」のシノブなど、性別を超えて「きれい」という表現がぴたりとはまる。2005年の『さんタク』では、ビヨンセのプロモーションビデオを再現するという企画で自らビヨンセに扮し、さんまやスタッフをざわつかせる場面があったことも思い出す。
 なるほど、こうしたキャラクターが残すインパクトは、彼がもつビジュアルの力があってのものだろう。ただ、コントの基本はキャラクターを演じきることだ。「ちょっと1回タンマ」など若者には意味不明な言葉を使ってしまい、46歳という本当の年齢がばれそうになるが、息子の高校受験の費用が必要なために必死に取り繕うシノブなど、おかしくはあるが「根っこの部分の人間的魅力」にあふれている。だからこそ、木村拓哉が演じるキャラクターはどれも、鮮やかでオリジナルな印象を私たちに残すのではないだろうか。

偶然の一致

 SMAPがデビュー当時、歌番組の減少もあってなかなか軌道に乗れずバラエティーに活路を求めたことは、いまや知る人ぞ知るところだろう。それは、アイドルが本格的バラエティーに取り組むことなど、まだ前例がない時代のことだった。
 当初、木村拓哉のなかでは、バラエティーに出ることは「人に笑われる」という感覚が抜けきれず、抵抗が強かったという。だがお笑い芸人たちとの出会いが、彼を変える。「すごい努力だったり、すごい感覚だったりがないと、人を笑わせることはできない」(前掲「Bananavi!」vol.001)、そう考えるようになったのである。
 それは、「一番最初に密接に知り合ったのが、いきなりさんまさんだったから、なおさら強く感じ」たことでもあった(同誌)。その意味で、「叔父貴」と呼んで慕うさんまとの『さんタク』でのコント共演は、「いままでかいたことのない汗をかいた」とコント後に振り返った木村拓哉にとって、記念すべき一ページになったにちがいない。
 そして木村拓哉は、「“人を泣かせる”ということと、“人を笑わせる”っていうことは同じなんだな」といつしか思うようになった(同誌)。つまり、ドラマとバラエティーは、本質的に変わらない。
『空から降る一億の星』で木村拓哉扮する片瀬涼は、幼いころに父親を失った出来事がきっかけで施設に育ち、人を愛することができないでいる。父親の死の場面も、そのとき受けたショックがもとで思い出せない。だが、明石家さんまと深津絵里扮する兄弟と運命の糸が絡み合うなかで、あるとき彼は“録画再生能力”を取り戻し、父親の死の場面をまざまざと思い出す。しかしそのことによって物語は悲劇的な結末へと向かっていく。
 その結末を迎える直前の場面、木村拓哉が見せる演技が強く印象に残る。深津絵里扮する堂島優子との出会いによって人を愛することを初めて知った片瀬涼は、それまで見せていた冷酷なまでにクールな表情とは一変し、最後の最後に涙ぐみながら優しく彼女にほほ笑む。その泣き笑いの表情が、美しくも哀しい。
 それは、このドラマの主題歌であるエルビス・コステロの「スマイル」が歌う歌詞を思い出させる。「ほほ笑んで 心が痛くても ほほ笑んで 心が折れそうになっても」と歌いだすこの歌もまた、喜びが悲しみや苦しみと背中合わせのものであり、でもだからこそほほ笑もうとささやきかける。ドラマのラスト、一人残された明石家さんま扮する堂島完三が、涼と優子の2人が残していったカセットテープから流れる「見上げてごらん夜の星を」を聞き号泣したあと、何かを吹っ切るようにほほ笑むシーンも、そのことを暗示する。
「スマイル」は、もともと映画音楽として作られた。作曲したのは喜劇王と呼ばれるチャールズ・チャップリン。自らが主演した映画『モダン・タイムズ』(1936年)で使われた曲である。その後歌詞付きのバージョンができ、多くのアーティストによってカバーされてきた。エルビス・コステロもそのひとりだ。
 そしてチャップリンを尊敬する人に挙げるのが、中居正広である。SMAPが結成されてまだ間もないころ、チャップリンの『街の灯』(1931年)を観て感動した中居正広は、チャップリンの伝記のなかで「喜怒哀楽の中でいちばん難しいのは、人を喜ばせること、笑わせることだ」という一文に出合い、バラエティーの道を究めようと決意する(「中居くん日和」「ザテレビジョン」1997年8月29日号、角川書店)。
 バラエティーに真摯に取り組むなかで木村拓哉が得た「“人を泣かせる”ということと、“人を笑わせる”っていうことは同じなんだな」という思い。それは、中居正広が出合い、彼を動かしたチャップリンの言葉と確かに響き合っている。こうして2人は、それぞれ別の道筋をたどりながらも、同じ場所に行き着いたのだ。その偶然の一致に、私はSMAPというグループが作り上げるエンターテインメントの本質、そして深さを垣間見た思いがした。

 

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第1回 木村拓哉と『ハウルの動く城』

太田省一
(社会学者。著書に『紅白歌合戦と日本人』〔筑摩書房〕、
『中居正広という生き方』『社会は笑う・増補版』〔ともに青弓社〕など)

はじめに

 2014年から15年にかけてこの青弓社ウェブサイトで連載された「中居正広という生き方」は書籍にもなり、幸いなことに多くの方に手に取っていただくことができた。当たり前と言われるかもしれないが、私自身改めて中居正広という存在、そしてSMAPというグループへの関心の高さを実感させられた。
 そして今回、「木村拓哉という生き方」と題し、新しい連載を始めることになった。「次は木村くんで」というありがたいリクエストもいただいたと聞いている。この連載でも、中居正広のときと同様、毎回違った角度から木村拓哉その人にスポットを当て、その魅力に迫っていきたいと思う。
 中居正広と木村拓哉。この2人はSMAPでは「ツートップ」と称される。SMAPは個々自立したエンターテイナーの集合体であり、だからこそ芸能史に残る稀有なグループでもある。とはいえ、2人はともに1972年生まれの同い年でグループの最年長ということもあり、グループを長年牽引する立場にあった。またそうして注目される分、SMAPをめぐるさまざまな出来事のなかで、ときには社会やメディアからの声の矢面に立ってきた2人でもある。今年2016年に入って巻き起こった騒動でもそうだったことは、いまさら思い出すまでもないだろう。
 一方、個人としての木村拓哉は、1990年代から時代を象徴する特別な存在であり続けている。「キムタク」という誰もが知る呼び名は、その産物でもある。そのような存在になり始めた頃、彼は「“キムタク”って、どうやら公共物らしい」とエッセーに書いた(木村拓哉『開放区』集英社、2003年)。そこには、自分という存在が自分の手を離れて一つの社会現象になっていることへの戸惑いのようなものがひしひしと感じられる。その気持ちは、私には想像がつかない。だが木村拓哉は、「キムタク」という第2の名前との付き合い方をそのうち身につけ、現在にいたるまでその特別な地位を保ってきた。
 それは取りも直さず、木村拓哉が「スター」だということだ。彼を語るうえで、そのことは外せない。だからここから木村拓哉をめぐる私の話を始めることにしよう。

スターとアイドル

「スター」と呼ぶにふさわしい存在は、今日それほど多くはない。かつて娯楽の王様が映画だった時代には、きらびやかな“銀幕のスター”たちが時代を彩った。その後テレビの登場は、「スター」に代わって「アイドル」という存在を生み出した。遠く手が届かない存在ではなく、すぐ身近にいそうな親しみがある存在。世の中はいま、いたるところアイドルであふれかえっている。
 そんな時代にあって木村拓哉は、数少ないスターの一人だ。
 主演ドラマが放送されるたびに、視聴率のことが注目されるのもその一つの表れだろう。当然彼は、視聴率のために演じているわけではない。そこだけを取り上げられるのは心外なことにちがいない。ただ、これまで彼の主演ドラマがその面で飛び抜けた実績を残してきたのも事実だ。『HERO』(第1期、フジテレビ系、2000―01年)が34.3パーセント、『ビューティフルライフ』(TBS系、2000年)が32.2パーセント、『ラブジェネレーション』(フジテレビ系、1997年)が30.8パーセント(いずれも平均視聴率)など、いまではちょっと考えられない数字である。いわばテレビ時代の「ドル箱スター」的な存在だ。
 そこにはやはり、誰もが認める「カッコよさ」がある。それは、映画時代のスターがそうだったように、無性にまねしたいという気持ちを起こさせる。それもまた、木村拓哉がスターであることの証明だろう。
 1990年代には、トレードマークだったロン毛をまねる若者が続出した。あるいは、ドラマで彼が身に着けたファッションがはやることも、『HERO』のレザーダウンジャケットなどをはじめ、これまで一度だけではない。『ロングバケーション』(フジテレビ系、1996年)の彼の演奏姿を見てピアノ教室に通う男性が増えたという「ロンバケ現象」もあった。
 さらにその影響は、人生の選択にまで及んでいる。木村拓哉がドラマで演じた職業に憧れた人々が、その道を選ぼうとする。『ビューティフルライフ』を見て美容師への道を進み、『GOOD LUCK!!』(TBS系、2003年)に感化されて航空業界への就職を目指す、というようなことが起こる。木村拓哉自身、彼のドラマに影響されてその役柄の職業に実際に就いてしまった人たちと番組で対面し、思わず感極まったこともあった(『HERO THE TV』フジテレビ系、2015年7月18日放送)。
 しかし、木村拓哉はSMAPの一員であり、そのためアイドルでもある。むしろアイドルの代表といってもいいだろう。そんな彼には、ただ「カッコいい」だけではない、ラジオでの飾らない話しぶりやコントで見せる面白い一面などさまざまな顔がある。それは、木村拓哉という存在の親しみやすさ、つまりアイドル性につながっている。
 ただ、それでは先ほど述べたことと矛盾してしまうかもしれない。少なくともスターであることとアイドルであることは、まったくイコールではない。だが実際、木村拓哉は、スターでありながらアイドルでもあるという、芸能史を振り返ってもあまり類を見ない存在としていまも活躍し続けている。そこに私などは強く引き付けられる。そしてまた、そんな2通りの顔をもつ彼をファンや時代がなぜ求め続けてきたのかを知りたい気持ちにもなる。
 私たちにとって木村拓哉とはいったいどのような存在なのか? これから話を進めていくなかで、彼の魅力とともにその答えに少しでも近づければと願っている。

「星に当たってしまった少年」

 このように書いてきて思い出すのは、宮崎駿の「星に当たってしまった少年」という言葉だ。
 それは、2004年公開の宮崎作品『ハウルの動く城』(以下、『ハウル』と略記)にまつわる。この作品、ご存じのように美しい魔法使いの青年ハウルの声優を木村拓哉が担当したことで大きな話題になった。
 宮崎作品の長年の大ファンでもあった彼は、『ハウル』への出演が決まり初めて宮崎駿に会った。その際、宮崎が木村拓哉にかけた言葉が、「彼(ハウルのこと)は「星に当たってしまった少年」なんですよ」というものだった。まだこれから声を入れる前の段階だった木村は戸惑ったものの、その一言を胸に声撮りに臨んだ(『木村拓哉のWhat’s UP SMAP』TOKYO FM、2013年9月27日放送)。
「星に当たってしまった少年」。その意味するところを映画にしたがっていえば、こうなる。
『ハウル』の物語の大きな鍵になるのが、ハウルが火の悪魔カルシファーと交わした契約である。本人たちは、内容もわからないままその謎に縛られている。それを解く役目を担うことになるのが、少女ソフィーである。物語の終盤、彼女はふとしたきっかけでハウルの子ども時代に迷い込み、そこで契約の秘密を知る。少年ハウルは、流れ星になって落ちてきたカルシファーに当たった瞬間、命が尽きかけようとしていたカルシファーを飲み込み、自分の心臓を与えて救ったのだった。もとの世界に戻ったソフィーは心臓をハウルのもとへと戻し、ハウルとカルシファーをともに危機から救い出す。
 私のなかで、そんな「星に当たってしまった」特別な運命をもつハウルは、木村拓哉そのものなのではないかと思えてくる。
 例えば、ハウルはその美しい容姿で街の女性たちの評判になっている。だが魔法使いゆえに「美女の心臓を取って食べてしまう」というよからぬ噂も立っている。そんなある日、ソフィーは男たちにしつこく絡まれているところを見知らぬ美青年に助けられる。それがハウルとの出会いである。まさに少女漫画的ラブロマンスの王道的展開であり、ハウルというキャラクターは、「いい男」の代名詞・木村拓哉を彷彿とさせる。
 とはいえハウルは、ただの美しい王子様的キャラクターとして描かれているわけではない。ソフィーはハウルのことをこう語る。「わがままで臆病で何を考えているかわからないわ。でもあの人は真っすぐよ。自由に生きたいだけ」
「自由に生きたいだけ」の「真っすぐ」な人。これほど木村拓哉という人を形容するのにぴったりと思える表現もないだろう。例えば、『NHK紅白歌合戦』で北島三郎が「まつり」を歌うたびにひときわ目を引く熱さで盛り上げようとする彼は、とても真っすぐで自由だ。どんなときでも全力で手を抜かず、だからときどき熱くなりすぎるほどかもしれないが、そうだからこそ人一倍頼りがいがある。木村拓哉はそんな人なのではないだろうか。
 スタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫が語る次のようなエピソードにも、そんな彼の人となりが表れている。『ハウル』の声の収録中、木村拓哉はセリフを事前にすべて頭に入れ、スタジオにはいっさい台本を持ち込まなかった。アニメでは、声優が台本を読みながら収録するという光景が当たり前だった鈴木は、その真剣さに「何という真面目な人か」と感嘆したという(『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』TOKYO FM、2012年11月30日放送)。

アニメ少年・木村拓哉の冒険

 実際、木村拓哉とアニメの関わりには想像以上に深いものがある。
 例えば、鈴木敏夫はこんなエピソードも披露している。
『ハウル』の声優を選ぶにあたって、ハウル役だけがなかなか決まらなかった。そんなとき、ジャニーズ事務所のほうから木村拓哉がジブリ作品に何らかのかたちで参加したい希望をもっているという話があった。そこで鈴木は、木村拓哉にハウル役をオファーする。ただ、それまでのジブリ作品の配役でもそうだったように、木村拓哉のドラマや映画を前もって見るということを鈴木はまったくしなかった。そのため「うまくいくかなあ」と収録初日までドキドキしていた。だが、木村拓哉の第一声を聞いてその不安も消し飛んだ。横にいた宮崎駿も思わず喜んでいたという(同番組)。
 木村拓哉ファンであれば、そんな鈴木の不安は最初から無用だったと思うかもしれない。というのも、自分の側からジブリ作品への参加を望んだように、木村拓哉のアニメ愛は並々ならぬものだからだ。
 それは、『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)の企画「ONE PIECE王決定戦」をごらんになったことがある方ならば納得がいくだろう。いままで7回放送されたこの企画、漫画・アニメの『ONE PIECE』(尾田栄一郎)のマニアックな知識を競うクイズだが、基本は木村拓哉とほかのゲストとの対決である。いずれも『ONE PIECE』好きを自任する人たちが登場するが、それでもこれまで木村拓哉が5回優勝と断トツの成績である。バラエティー的には、『ONE PIECE』を読んだことも見たこともない稲垣吾郎と草彅剛が「見届け人」として脇からさめた発言をするところがまた、木村拓哉の熱さを際立たせる。
 そんなアニメへの情熱は、少年の頃から変わっていないようだ。「小さい頃から、いつも何かのアニメ作品がそばにいてくれた。夕方観たいアニメが必ずあって、間に合わせようとして、すごいスピードで帰ってたからね」(木村拓哉『開放区2』集英社、2011年)
 子どもの頃であれば、好きなアニメに夢中になるのも珍しくはないかもしれない。しかし、アニメで見たことをそのまま現実にやってみようというまでになると話は別だ。木村拓哉は、そんな冒険心旺盛な少年だった。「『ルパン3世』を観ていた頃、「チャリンコで遊んでるとき「そういえばルパンは、こういう崖、ヘーキで下りてたよな」って真似した」こともあった。もちろん怪我したけどね」(同書)
 同じような話は、2015年12月に放送された『さんま&SMAP! 美女と野獣のクリスマススペシャル’15』(日本テレビ系)でもあった。明石家さんまとSMAPのメンバーが各自嫉妬するほど憧れの人物を発表するという企画である。そこで木村拓哉がムツゴロウ王国の石川さんと並んで挙げたのが、実在の人物ではなくアニメ『トム・ソーヤーの冒険』(フジテレビ系、1980年)の主人公、トム・ソーヤーだった。
 トム・ソーヤーの世界に憧れた当時小学生の木村少年は、アニメに出てきた冒険を実際に自分でもやってみようと思い立つ。巨大な発砲スチロールを発見すると、それをいかだがわりにして川下りをして沖に流されそうになる。また釣った魚をたき火で丸焼きにして食べる。それが通報されて全校集会で怒られても、アニメの場面に重ね合わせて「すげートム・ソーヤーっぽいな」と木村少年は内心喜んでいたという。
 物語を現実に生きること、あるいは現実を物語のように生きること。それは、少年時代から木村拓哉のなかに一貫して存在する行動軸なのではないだろうか。この番組のなかで彼を主人公にしてオリジナルそっくりに作られたアニメ『キム・タクヤーの冒険』のように彼は生きている。
 だから木村拓哉は、「プレーヤー」であることにこだわるのだろう。あるインタビューで、「つくる側」、演者よりさらにもう一つ上の場所で何かを表現してみたいという気持ちはないか、と問われた彼は、「ぜんっぜん(笑)。僕はもうプレーヤーでいいです」と即答し、さらにその理由については、「やっぱりこの場所が楽しいし、それにプレーヤーっていうものも、どこまで行ってもゴールがないですからね」と語っている(「SPA!」2014年7月22・29日合併号、扶桑社)。
 この「プレーヤー」という表現に、木村拓哉の哲学は凝縮されているように思える。プレーすることにジャンルの垣根はない。ドラマや映画であれ、歌やダンスであれ、はたまたコントであれ、すべてプレーするということでは変わらない。演技する人、歌う人、踊る人、そのすべてを一言で表す言葉が「プレーヤー」なのだ。

恋愛、戦争、そして家族

 そんな木村拓哉が、小さい頃から憧れてきたアニメの世界の「プレーヤー」となった『ハウル』。その世界はどんなものなのか。説明的な描写も排除され、見る側の想像に委ねられた部分が多い作品ではある。だがその中心にあるのが、少女ソフィーとハウルのラブストーリーであることはまちがいないだろう。
 ハウルと少女漫画のような出会いをしたソフィーは、その後荒地の魔女の呪いで老婆の姿にされてしまう。そのため、2人の関係はスムーズには進展しない。だがソフィーは掃除婦としてハウルの城に住み込み、しだいに2人は引かれ合っていく。
 そのなかでソフィーの容貌は、ハウルのために勇気ある行動をとった瞬間には、少女のものに戻ったりする。その意味では、描かれ方は一風変わっているが、古典的なラブストーリーである。それは、木村拓哉が演じてきた『ロングバケーション』や『ラブジェネレーション』といった数々の「月9」恋愛ドラマに重なるところがある。
 しかし、ソフィーがハウルたちとともに共同生活を営んでいくなかで、2人の関係は単なる恋愛を超えたものにもなっていく。
 ソフィーとハウルを大きく変えるきっかけになるもの、それは戦争だ。物語の冒頭からすでに、戦争は始まっている。それはいつ終わるとも知れない。そして戦争は、ハウルたちの生活をも脅かし始める。魔法使いとして戦争に協力するよう王室からの要請がハウルに届く。だがハウルはそれを拒否する。それでも諦めようとしない相手に対し、ハウルはソフィーに自分の母親と名乗って断ってきてくれるように頼む。
 そして王宮に向かったソフィーは、王室付き魔法使いでハウルの師匠でもあるサリマンと対面する。協力しないハウルは悪魔に心を奪われたいかがわしい魔法使いだと非難するサリマンの言葉に対し、ソフィーはそんなことはないと敢然と反論する。そのときソフィーの呪いは一瞬解け、18歳の少女に戻る。それを目にしたサリマンは、「お母様、ハウルに恋してるのね」と語りかける。
 ソフィーはハウルの恋人であると同時に母親である。そして魔力を奪われてすっかり「おばあちゃん」のようになった荒地の魔女やまだ幼いハウルの弟子マルクル、そしてカルシファーといった城の同居人たちの面倒をみる立場でもある。誰一人として血はつながっていない。だがマルクルに「僕ら、家族?」と聞かれたソフィーは力強く「そう家族よ」と答える。
 ハウルもまた、そんなソフィーの気持ちを知り、「家族」を守るため戦地に赴くことを決意する。傷つき、ボロボロになりながらも戦い続けるハウル。そこには、ソフィーが母親でもあるように、ハウルが父性を担う存在でもあることが見て取れる。
 ここで思い出すのは、2015年に木村拓哉が主演し、父親役として新境地を見せたドラマ『アイムホーム』(テレビ朝日系)だ。彼演じる家路久は、事故で記憶を失い、妻や子どもとの関係も希薄な、よそよそしいものになってしまう。だが家路はもう一度家族の絆を取り戻そうと決意し、過去の記憶をたどり直し、やがて自分を追い込んだ大きな敵と戦うことになる。
 思うに、そんなハウルや家路の姿は、木村拓哉本人のものでもあるのではないか。かつて「プロフェッショナルとは?」という質問に対し、木村拓哉は「最前線から逃げない人」と答えた。「風当たりは強いけど」前線にい続けたいと彼は語った(『プロフェッショナル 仕事の流儀 SMAPスペシャル完全版』NHK、2011年12月24日放送)。
 木村拓哉が立つ最前線のすぐそばには、ハウルや家路久と同じように彼にとって「家族」と呼べるような多くの人々がいるはずだ。そのなかにはきっと、ファンもいるだろう。ハウルにとって「家族」が必ずしも血のつながりを意味するものではなかったように。あるいは、いざというときに助けの手を差し伸べてくれるソフィーは、ファンの化身でもあるのかもしれない。

再建された城

『ハウル』のラストシーン。ソフィーによってハウルたちは救われ、戦争も終わりに向かう。そしてハウルたちは、今度は自分たちの意思で集い、改めて「家族」として暮らすことになる。住むのは、再建されたハウルの城だ。以前のいかめしく不気味な外観ではなく、緑の木々が茂り、洗濯物がのどかに干されているような、いかにも平和そうな空飛ぶ城である。少女の姿に戻ったソフィーとハウルも仲睦まじい。
 一見、絵に描いたようなハッピーエンドである。だが、実はまだ戦争は終わっていない。そのことが、再建されたハウルの城が飛んでいくはるか雲の下で爆重船が艦隊となって進んでいく場面でわかる。
 そこに私は日本の戦後の状況を重ねてみたくなる。敗戦後の平和のなかで、復興から高度経済成長によって豊かな暮らしを得た戦後日本社会だが、外側では米ソ対立がもたらした冷戦体制があり、そのもとで起こった朝鮮戦争による特需が高度経済成長を後押しした。それを思い起こさせるようなところが、『ハウル』のラストシーン、再建された城が表す平和と終わらない戦争の対比にはある。
 またソフィーの声が倍賞千恵子、荒地の魔女の声が美輪明宏と、ともに戦後日本と関わりが深い人たちが担当していることも、そんな連想をしてしまう理由だ。
 倍賞を一躍有名にした1963年公開の映画『下町の太陽』(監督:山田洋次)は、高度経済成長期に東京の下町にある工場で働く若者たちの姿を描いた映画だった。同名主題歌も大ヒットし、倍賞は『NHK紅白歌合戦』にも出場した。その後『男はつらいよ』シリーズ(監督:山田洋次、1969―95年)で、渥美清扮する寅さんの妹・さくら役を演じたことはご存じのとおりだ。木村拓哉が、両映画の監督である山田洋次と『武士の一分』で一緒に仕事をすることになるのは、『ハウル』の2年後のことである。
 敗戦の年に長崎で被爆した体験をもつ美輪は、シャンソン歌手として人気を博す一方、自作の曲を通じて戦後のあり方を問い続けてきた。その代表曲が、小さい頃の友人をモデルに、戦中から戦後にかけて苦しい生活のなか頑張り続けた母子を歌った「ヨイトマケの唄」だ。2012年、美輪が初出場した『NHK紅白歌合戦』で、やはり「真っすぐな」まなざしでこの曲を紹介した木村拓哉の姿がいまも鮮やかに思い出される。
 そしてジャニーズ事務所の創設者であるジャニー喜多川も、芸能の仕事を通じて戦後、そして平和の意味を考え続けている一人だといえるかもしれない。アメリカ軍関係の仕事で朝鮮戦争時に韓国を訪れた彼は、そこで戦災孤児に接した経験がきっかけになり、帰国後少年野球チーム「ジャニーズ」を結成する。それがジャニーズの歴史の第一歩だった。とすれば、ジャニーズもまた、ジャニー喜多川によって再建された城だったのではないだろうか。
 そう考えるとき、青空のなかを再建された城に乗って飛んでいく血のつながらない「家族」5人(実は隣国の王子で、いまは5人と離れているカカシのカブを入れれば6人だともいえるだろう)に、アイドルグループSMAPの姿がオーバーラップする。そしてそのグループの一員として出発した木村拓哉は、やがて時代と交わるスターになっていくだろう。木村拓哉がハウルだとすれば、そこにはどのような“魔法”があったのか? 「星に当たってしまった少年」木村拓哉は何を考え、何を追い求め、どのような道のりを歩んできたのか? 次回以降、筆を進めていきたい。

 

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予告 新連載「木村拓哉という生き方」が今月からスタート!

太田省一
(社会学者。著書に『紅白歌合戦と日本人』〔筑摩書房〕、
『中居正広という生き方』『社会は笑う・増補版』〔ともに青弓社〕など)

 アイドル、アーティスト、俳優、ファッションリーダー……時代の最前線で常に輝き続け、トップランナーに位置する木村拓哉。男性アイドルの「かっこよさ」のスタンダードを作り出し、芸能史でも異彩を放って圧倒的な存在感を示している。
 アイドルでもありスターでもある木村拓哉の魅力を多角的に検証しながら、彼が背負い、表現してきた社会や時代に迫る新連載。

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 2015年に刊行した『中居正広という生き方』は、おかげさまでご好評いただき、多くの方に手に取っていただきました。誠にありがとうございます。
『中居正広という生き方』はウェブ連載をまとめた書籍でしたが、その連載時から「木村くんも論じてほしい」という声をいただいており、昨年から著者の太田省一さんと本連載を準備してきました。
 年明け早々にSMAPをめぐる一件が大きく報じられ、太田さんも私たちも驚きましたが、本連載はその話題を論じるものではありません。
 アイドル・スターとしての木村拓哉の魅力を改めて掘り起こし、読者のみなさまが共感して楽しんでいただけたら、と願っています。
 今月半ばからスタートする予定です。楽しみにお待ちください。

青弓社編集部