第6回 ストイカ・ミラノヴァ(Stoika Milanova、1945-、ブルガリア)

平林直哉(音楽評論家。著書に『フルトヴェングラーを追って』〔青弓社〕など多数)

ブルガリアの名花

 1945年8月5日、ブルガリア中部のプロヴディフの生まれ。父からヴァイオリンを教わり(母親とする文献もあるが、おそらく間違いだと思われる)、60年(または1961年)、ブルガリアのコンクールで優勝。67年、エリザベート王妃国際コンクールで第2位(このとき、ギドン・クレーメルが第3位、ジャン・ジャック・カントロフが第6位)。64年から69年までモスクワでダヴィッド・オイストラフに師事、その成果を問うために70年のカール・フレッシュ国際コンクールに参加し、見事に優勝を果たす。
 ミラノヴァの顔写真はLP、CDなどに多数見ることができるが、それらはいずれも伏し目がちな、中空を見つめたような、あるいは一抹の憂いを含んでいるようなものばかり。カラッと笑ったものは一枚もない。彼女の演奏から受ける印象も、ある意味これらの写真と共通するものがある。解釈の基本は全くのオーソドックスだ。これみよがしな大げさな身振りや、お涙頂戴式の場面などはどこにも見られない。ほっと心を落ち着けるような親しみやすさ、懐かしさのようなものがあり、決して派手ではないけれど、聴くほどに味わいが増してくる。
 手元にあるミラノヴァの演奏は大半がLPだが、唯一のCDはブルッフの『第1番』とグラズノフ、それぞれのヴァイオリン協奏曲である(日本語帯付きはANF-312、オリジナルはFidelio 1865)。オリジナルのCDには録音データはないが、日本語の帯には1984年10月、ソフィアでの収録とある。
 2曲とも緩急の差はそれほどつけず、おだやかに、ゆったりと歌い込んである。特にブルッフの第3楽章の、決して先を急がず、のびのびと舞っているところは印象的だ。伴奏はヴァジル・ステファノフ指揮、ブルガリア国立放送交響楽団。
 以下は、すべてLPでの試聴。あえて彼女の最高傑作をあげるとすれば、プロコフィエフの『第1番』『第2番』のヴァイオリン協奏曲だろう(Balkanton 1982703、録音:1970年?1972年?)。全体的にはきちんと明瞭に仕上げられているが、切れ味やしなやかさ、テンポのよさ、必要にして十分な気迫など、すべてにおいてバランスが適切だと納得させられる。これはやはり、オイストラフからの伝授が効いたのだろうか。伴奏はブルッフなどと同じくステファノフ指揮、ブルガリア国立放送響。
 個人的に愛着があるのは、ベートーヴェンの『ヴァイオリン協奏曲』である(Balkanton BCA104533、録音:不明、1970年代?)。この曲の女流演奏は、なぜだか魅惑的なものが多い。ローラ・ボベスコやジョコンダ・デ・ヴィートのように、強烈な個性をもつものもあるが、このミラノヴァのそれは女流らしいなだらかさ、柔らかさをもちながらも、もっと控えめな気品にあふれている。たとえば、第3楽章の最初の部分、アレグロに入った際、ほんの少しブレーキをかけて歌い始めるところなどに、この人の特徴が表れていると思う。指揮者、オーケストラはプロコフィエフと同じ。
 メンデルスゾーンもある。もちろん、超有名な方の協奏曲だ(Balkanton 1982704、録音:不明、1970年代?)。これは多数ある名盤のなかでは、いささか地味な部類に入るだろう。けれども、この化粧っ気のなさがまた彼女の持ち味であり、聴いて決して損はない。なお、このLPは第3楽章が第2面にカットされている。こんなふうにカッティングされたLPは初めてだった(余白はメンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』序曲)。伴奏はプロコフィエフ、ベートーヴェンと同じ。
 室内楽では以下のものがある(同じくすべてLP)。1976年3月、ミラノヴァは来日した際に日本コロムビアにスタジオ録音をおこなっているが、これが結果的には彼女の最も音質がいいレコードとなった(日本コロムビア/デンオン OX-7070)。曲目はプロコフィエフの『ヴァイオリン・ソナタ第2番』、ドビュッシーの『ヴァイオリン・ソナタ』、ラヴェルの『ツィガーヌ』である。ピアノ伴奏はストイカの妹ドラ(Dora Milanova)。 
 ソナタ2曲はともに知情意の配分がとてもいい。驚くような解釈はないものの、しっかりと落ち着いた雰囲気がある。また、『ツィガーヌ』の最初の部分、たいていのヴァイオリニストは、それこそ松ヤニが飛び散るように激しく弾くのだが、ミラノヴァは決してそうしていない。力みを排し、可能なかぎり自然に楽器が鳴るようにしている。また、ぴたりと影のように寄り添っているドラのピアノも見事。これこそが、息の合ったアンサンブルなのだ。2016年8月現在、未CD化。
 フランクとドビュッシーのソナタを組み合わせたものもある(Duchesne DD-6095、録音:不明)。ドビュッシーはデンオン盤とダブっている。このLPは録音年が不明なので何とも言えないが、どうやらこちらのほうが先のような感じがする。もちろん、解釈は同じ(ピアノも同じくドラ・ミラノヴァ)。フランクは言うまでもなく大曲であり、名盤もひしめいている。そのなかにあって、彼女らのように慎ましく、穏やかに歌っている演奏は珍しいと思う。特に後半の第3楽章、第4楽章がそうだ。
 ブラームスの『ヴァイオリン・ソナタ全集』(「第1番」―「第3番」)という、ミラノヴァの唯一のまとまった録音がある(Harmonia mundi HMU-115-6、録音:不明)。これはBalkantonとの共同制作のようだ。これまた姉妹のデュオであり、ミラノヴァの芸風と作品内容がよく合っていて、見逃せない逸品だろう。不思議なのは、「第1番」と「第2番」は明らかにモノーラル(LPボックス。解説書とレーベルにはステレオの文字はない)。「第3番」はかろうじて広がりがあるステレオであり、3曲のなかでは音質に最ものびがある。第4面にはVladislav Grigorovというホルン奏者とのブラームスの「ホルン三重奏曲」が収録されている。音質は「第3番」のソナタと似ていて、演奏もすばらしい。普通なら、「F.A.Eソナタ」とか「ハンガリー舞曲」とかが第4面にきそうだが、「ホルン三重奏曲」が入っているところをみると、これはレコード用の録音ではなく、放送用のそれを転用したものではないか。
 妹ドラではなく、マルコム・フレージャーと録音したブラームスとシューマンの、それぞれ『ヴァイオリン・ソナタ第1番』がある(BASF KBB-21392、録音:不明、1972年頃?)。ブラームスの『第1番』は前出のハルモニア・ムンディ盤とダブっている。音はこちらのほうがいいが(ステレオ)、全体の出来は妹との共演のほうがいいような気がする。単に腕前を比較するならば、フレージャーはドラよりも上だろう。しかし、姉妹の共演は一心同体のような親密さがあり、その点でフレージャーはそこまでいっていない。
 このLPでは聴きものはシューマンだ。このふつふつと沸き上がるようなロマンは、ミラノヴァにぴったりだ。ピアノがドラだったら、さらに味わいが増したと思うが、でも十分に聴き応えがある。
 あと、参考としてヴィヴァルディの『四季』(Balkanton BCA-1250、録音:1970年12月、ブルガリア・コンサート・ホール)をあげておく。このLPは珍しく録音データが記されているが、音がよくない。風呂場のような、あるいはピンぼけの写真のような、実体が捉えづらい劣悪な音質なのだ。全体の解釈はごく普通。ミラノヴァのソロは安定し、巧く歌っていると思うが、参考記録の域を出ない。伴奏はワシリー・カサンディエフ指揮、ソフィア・ソロイスツ。

 

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