第10回 男の子の健やかな成長を祈る――丸亀・八朔の団子馬(香川県丸亀市)

吉野りり花(日本の旅ライター・旅エッセイスト。日本の食文化を中心に執筆)

サンライズと「瀬戸の花嫁」の洗礼

 東京駅、夜22時。ちょっぴり鉄分濃いめで、鉄道旅が大好きだったから旅の文章を書く仕事を始めた私は、何年ぶりかのサンライズ瀬戸を前にして大興奮していた。久しぶりの四国行き。ならば乗るしかないでしょ、寝台特急・サンライズ瀬戸。ホームからパチリと記念撮影、B寝台ソロの個室ももちろん記念撮影、ビールとお弁当を買い込んでウキウキと要塞に乗り込む鉄子。しかしまさか、そんな浮かれた鉄子が眠れぬ夜を過ごすことになるとは。
 ゴツンゴツンゴゴゴゴゴ……。寝台に横たわる私の耳のすぐ横で、大音量のノイズが響く。昔ながらの寝台特急では線路に対して横向きに寝台があるのに対し、サンライズ出雲・瀬戸は線路に対して平行に寝台がある。この平行方向の振動が独特で、気になって眠れない。おまけに下段の個室では線路と車輪が擦れる音が容赦ない。今回の丸亀行きにサンライズを選んだのは、サンライズなら朝いちばんに丸亀に着くというのも確かにあったが、「サンライズに乗りたい」と内なる鉄子がささやいたことも誘因だった。おのれ、内なる鉄子め。こんなことなら、新幹線で岡山入りして前泊すべきだったかも……。そんな私の物思いをよそに、一睡もできない神経質な鉄子を乗せたサンライズは岡山に着き、瀬戸大橋に入った。
 窓の外に目をやると、穏やかで青い瀬戸内海が広がる。その色を眺めていると、さっきまでの煩悶はどこへやら。大小さまざまな島々を眺めれば、これから四国入りするのだと心もはやる。少し眠いくらい、もういいや。塩飽勤番所があった塩飽諸島の上を通過し、電車の先に工業地帯が広がる陸地が見えてきた。ついに四国上陸だ。
 坂出駅でサンライズを降り、丸亀行きの予讃線に乗り換えるためにホームに立っていると、のんびりした調子で「瀬戸の花嫁」のメロディーが聞こえてきた。この歌がはやったのは1972年だというから、44年も昔のこと。私がまだ生まれる前の話だ。時はびゅんびゅんとすさまじいスピードで流れていて、この歌がはやったあとに生まれ、一度ふるさとを飛び出した民俗女子は、鉄子となり旅ライターとなり、気づけば歳をとり、一巡していま再びふるさとを求め旅に出ている。その間ずっと「瀬戸の象徴」として君臨し続ける小柳ルミ子の功績恐るべし。寝不足のせいだろうか、私の脳裏でくるくるとルミ子の幻が躍る。

 丸亀市は香川県の瀬戸内海側に位置する町で、かつては金毘羅宮への参拝口としてにぎわい、丸亀うちわ作りで栄えた港町だった。その丸亀駅で電車を降りると、駅コンコースではクリスマスチキンのような顔をしたとぼけたお奉行様のキャラクター・とり奉行骨付じゅうじゅうが出迎えてくれた。「骨付き鳥」は香川新名物として人気急上昇のB級グルメ。真空調理でにんにく風味の味を染み込ませた骨付きの親鳥肉とひな鳥肉をパリッと焼き上げたもので、酒の肴にはもってこいの食べ物だが、このとり奉行骨付じゅうじゅうも町おこしに一役買っているらしい。
 そして、コンコースの正面に展示されているのが、今回のお目当ての縁起食。大きく口を開けた倉敷張子の虎の横で、ひときわ勇ましく跳ね姿を披露するが、八朔の「団子馬」だ。

男の子の成長を祈る「八朔行事」

 1日のことを古くは朔日という。旧暦の8月1日は8月の朔日であることから「八朔」と呼ばれる。江戸時代には、八朔は五節句以外の重要な節句のひとつとされた。田んぼの早稲の穂が実る頃だったため、「田の実の節句」として、お世話になった人に早稲の穂を送り感謝を表す風習があった。京都の祇園では舞妓や芸妓がお茶屋へ挨拶回りにいく風習がある。さらに、八朔を「子どもの成長を祈る」日として祝う地域が全国に点在している。福岡県の芦屋ではわら馬と団子で作ったひな「だごびーな」で子どもの成長を祈る行事が「芦屋の八朔行事」として残っているし、香川県の仁尾町では、他所では3月3日におこなうひな祭りを、八朔のこの日に「仁尾の人形祭り」として盛大に祝う。
 そしてここ丸亀市にも、ひときわ珍しい八朔行事が残っている。丸亀では八朔は午節句と呼ばれ、団子を使って前足を高く上げる跳ね馬をかたどった「団子馬」を作り、男の子の健やかな成長を祈るのだ。9月13日の今日は、まさしく八朔当日。私は団子馬作りがおこなわれているという「中野餅屋」をめざした。
 丸亀城から少し離れたところにある菓子店である中野餅屋を訪ねると、店のなかからは米粉を蒸すいい匂いが漂ってきた。「ごめんくださーい」と店内に入ると、蒸したての団子の生地を運んできたのは中野大岳さん。親子で営む中野餅屋の息子さんだ。丸餅やおはぎなどが並ぶ餅専門店の店内には、針金と木でできた台が並べられ、団子馬作りが始まっていた。慣れた手つきで団子馬を作るのは菓子職人の岡雅久さん。蒸した団子を馬の骨になる台につけ、するすると伸ばしながら団子馬を作っていく。
 団子馬は丸亀城主生駒氏の時代からあるとされ、その由来にも諸説ある。いちばん有力なものが、生駒氏に男の子が生まれたことを記念して農民たちが団子馬を作ったというもの。ほかにも、馬の名手だった真垣平九郎にちなんで男児の出世を願うために作られたという説もある。
 子どもの成長を祝う節句といえばひな祭りや端午の節句が一般的だろう。おひなさまを飾り、ひなあられや菱餅、はまぐりなどで女の子の成長を祝うのがひな祭り。それに対して、五月人形を飾り、男の子の成長を願うのが端午の節句と思われがちだが、岡さんによるとそうではない。5月は男の子の節句と思われているけれど、それは節句屋が決めただけ。5月は子どもの日で、男の子の節句がないから、丸亀では八朔に男の子の初節句として、団子馬を飾り健やかな成長を願うというわけだ。
 かつて丸亀の八朔は非常に豪華なものだった。各家では8畳間や6畳間に御殿を飾り、御殿の前に武者人形、倉敷張子の虎を飾り、その前に団子馬を飾った。1匹だけでなく5、6匹飾る家もあったという。家のなかに竹藪を作り、そこから虎が出てくるような構えにしたもの、白い砂で滝を作り、鯉が滝を伝うようにしたものなど、家ごとに趣向を凝らした飾り方があった。
 団子馬の形にもいろいろあり、足を前に上げたものを「跳ね馬」と呼び、頭を下にして前足をついているものを「とび馬」と呼ぶ。団子をつける台は、鍛冶屋で作ってもらう「打物」で、各家で代々受け継がれているものだ。しかし、台を作れる鍛冶屋もいまでは減ってしまった。団子馬を商売として作る職人も岡さんを含めて2人だけ。これから先、団子馬を継承していけるのか、それが心配だという。

職人技が光る 団子馬作り

「さあ、今年最後の団子馬やけんのう」
 一服のあと、気合を入れて立ち上がり、岡さんが団子馬を作り始めた。団子馬作りは、長年の経験によって培われた職人技なくしてはできない。団子はお米ともち米を粉にしたものに少しの砂糖を加え、水を入れて蒸して作る。このときの水加減も大切だ。団子が硬すぎてもダメ、軟らかすぎてもダメ。軟らかすぎると馬の頭がだんだん自分の重さで崩れてしまうし、硬すぎても伸びない。どのくらいの量でできるかの目分量も、長年の経験で身についたものだ。岡さんも16歳のときから作り始め、先代が作るのをまねながら、何年もかけて団子馬作りの技術を習得した。団子馬を作るのは年に5、6日だけ。だから団子を練るのに5年、1人ですべて作れるようになるのに十数年を要した。
 まず、蒸し上げた団子を陶芸の菊練りの要領でこねていく。力がいる作業だ。骨となる台に団子をつけ、慣れた手つきでするすると団子を伸ばすと、みるみるうちに馬の脚ができた。次に胴と頭を作り、指でぎゅっと押したところに鼻筋や目のくぼみができていく。目のなかには昔はガラス球を入れていたが、いまはぬいぐるみ用のボタンで代用する。尾には竹の繊維を。あっという間に歯も形作られ、馬の体躯ができあがる。今度は妻の秀子さんが馬に着物を着せ、兵児帯(へこおび)を締め、ひづめや口に赤・黄色・緑の食紅で彩色してできあがり。写実的で、いまにも走りだしそうな躍動感がある馬だ。
「お店によっても作る人によっても、馬の顔も形も違う。こういうふうにリアルに作るのがうちの特徴。なんでもいいわってダラダラと作るのは嫌いやから」と岡さん。団子馬作りは職人の誇りをかけた仕事なのだ。店内に並ぶいくつもの台は、すべて今日予約注文されているもの。1つの団子馬を作り上げるのに30分ほどかかるが、その間にもお客さんが次々と団子馬を取りにくる。岡さんは順番に馬を仕上げ、できあがった団子馬1つひとつに「大事にこうてもらえよ、ちゃんと言うこときけよ」と声かけて、目を細めて送り出す。
 見事な手つきにほれぼれして見入っていた私に、岡さんが「食べてみらんね」と団子をちぎって渡してくれた。砂糖が少し入っているからか、口に含むとあたたかくほんのり甘い。

もうひとつのまじない――子宝を願う縁起物

 そうこうするうちに、きれいな女性が1人、店に入ってきた。男の子のお母さんなのだろう、「この馬の馬主さんや」と岡さんがおどけると、女性はこう言った。
「ちゃんとおちんちんつけといて!」
 なんとな!? 美人さん、いまなんとおっしゃいましたか、と思わず固まる私。
 そんな私を見て
「おちんちんはな、わざわざつけるの。冗談でつけるんと違うの」
と岡さんが笑う。
 なんでも、団子馬の股間に立派なものをつけるのにはちゃんといわれがあるのだそうだ。昔このあたりでは、嫁入りして3年子どもができないと離縁されていた。あるとき、なかなか子どもができずに離縁間近だった女の人が、この団子馬の股間をちぎって食べたところ、めでたくご懐妊。それから団子馬は子宝を願う縁起物にもなった。子どもの健やかな成長を願うだけでなく、近所に子宝に恵まれない人がいたら子どもができるようにと団子馬を送る。団子馬は子どもにまつわることをあれこれかなえてくれる縁起物だったのだ。

団子馬を食べる「馬荒らし」

 こうして作られた団子馬は各家で飾られ、八朔の日のお昼になると「馬荒らし」と称して、団子馬をつぶす。つぶすというのは、団子をちぎったり切ったりしてばらすことで、お祝いに集まった親戚にもお裾分けとして持ち帰ってもらった。
 つぶした団子馬は、軟らかいうちなら団子汁に。砂糖醤油をからめて焼く「つけやき」にしてもおいしい。パリパリになるまで乾かしてあられにしたり、パットライスにすることもあった。そんな話を聞きながら、パットライスとはなんだろう、炒飯のようなものだろうか?と不思議に思っていると、
「パットライス知らんかな? お米をポーンとやって……」
と岡さんが説明してくれた。ああ……懐かしい。ポン菓子だ。
 小さい頃、私の田舎にもときどきポン菓子屋がやってきた。ポン菓子屋の音が聞こえると、弟と一緒にお米をビニール袋に入れて音がするほうに走った。ポン菓子のおじさんにお米を渡すと、機械に入れて、ポーン。米に高圧をかけてカラメル風味の「おこし」のような駄菓子を作ってくれる。それが楽しくて心待ちにしていた。昭和が終わる頃の、懐かしい記憶だ。九州の山間の田舎で育った私と、香川の港町の子どもたちが、同じお菓子を食べていたことを想像すると、妙にうれしくなった。

女性と出産、そして子ども

 お別れのとき、中野餅屋のおかあさん(中野善子さん)は、私にできたてほやほやのおはぎをもたせてくれた。添加物も何も入っていない、ゴロンとしたおはぎ。見るからにおいしそうな手作りおはぎだ。
 みなさんにさよならを言い、また駅へ。ホームのキオスクでは嫁入りを祝うさぬきの郷土菓子「おいり」が売られている。カラフルな「おいり」をひとつ買い求め、瀬戸大橋線に乗り込んだ私は、今日出会ったたくさんの親子の姿を思い出しながら、考えた。
 結婚と出産と子どもと離婚と。女性の人生ってなんだろうか。いうまでもなく、どれも女性にとっては大問題。でも、妊娠や出産は自分の思いどおりにはならない。子どもができないと用なしとされた昔の女性の苦悩はどれほどのものだったのか。子どもができるように、そして生まれた子どもが無事に大きくなるように。その願いは、どれほど真剣なものだったろう?
 現代では女性が働くことが当たり前になり、「女性と出産と子ども」問題は働き方の問題も加わって、さらに悩ましさを増している。かくいう私も保育園児を育てながらフリーランスで働くワーキングマザーであり、日々育児と仕事の両立に頭を悩ませている。仕事は大好きだから、全力投球したい。そうは思うけれども、保育園の時間に縛られ、子どもの急な病気に予定が狂うこともしばしば。仕事をしながら子育てをするのは、どうしてこんなに大変なのか。くじけそうになり、悔しくて泣く日もある。それでもまちがいなく、子どもを産むという偉業は女にしかできない、とても尊いことだ。
 子どもが生まれると、女性の価値観は一変する。守らなくてはならないものができたとき、母は強くなり、そしてどうしようもなく弱くなる。毎日の日々がつぶつぶの充足感で満たされ、幸せの垣根は低くなった。幸せは遠くにあるものではなくて、近所の公園の日だまりにあった。それが何より力強いものだったことに気づく。そして、ひたすらに毎日祈るのは、子どもが日々平穏でありますように、無事健康に幸せに大きくなりますようにということなのだ。これほどに純粋で強い願いはほかにないだろうと、母である私は身をもって知っている。
 中野餅屋さんのおはぎを、家で留守番してくれている息子に食べさせてあげたい。大好物のおはぎ、きっと喜ぶだろう。ああ、ダッシュで東京に帰りたい。岡山駅からはサンライズではなく新幹線に乗り込んだ。新幹線がもっと早く進んでくれたらいいのに。遠くに出張するときはいつも夫と留守番してくれている息子は、帰ったらきっと飛びついてくるだろう。わが子の匂いをかいで、ぎゅーっと抱きしめよう。男の子の初節句のために団子馬を飾るお母さんたちの気持ちは、私もよく知っている。東京に向かう新幹線のなかで母の心はいつも以上にはやった。

 

Copyright Ririka Yoshino
本ウェブサイトの全部あるいは一部を引用するさいは著作権法に基づいて出典(URL)を明記してください。
商業用に無断でコピー・利用・流用することは禁止します。商業用に利用する場合は、著作権者と青弓社の許諾が必要です。

カテゴリー: にっぽん縁起食図鑑, 連載   パーマリンク