第9回 巨大なタラを担いで大漁祈願――掛魚まつり(秋田県にかほ市金浦)

吉野りり花(日本の旅ライター・旅エッセイスト。日本の食文化を中心に執筆)

 冬の日本海は独特だ。その色は青というよりも鉛のように重たい色で、大きくうねる波を眺めているとどんよりと心が曇る。2015年2月、秋田県にかほ市を目指す私の目の前に広がったのは、鈍色で飲み込まれそうに重い海だった。
 初めて冬の日本海を見たのは、鳥取の美保関でのこと。その日は小雨で、ドウドウと荒れるその海は私がよく知っている地元の海とは異質に思えた。太平洋と東シナ海に囲まれた鹿児島の海は、カラッと青くドーンと広い海だ。目の前の日本海の青はそれとはやはり違う。白波を立てて打ちつける海辺に立つと、身がすくむような怖ささえ感じた。
 にかほ市金浦(このうら)は、秋田市から海岸線を南下し、松尾芭蕉が訪ねたことで有名な象潟(きさかた)に至る少し手前に位置する漁師町。ここ金浦で毎年2月4日におこなわれるのが、約350年の歴史をもつ「掛魚(かけよ)まつり」だ。かつて冬の荒れた海で金浦の漁師の8割が亡くなるという船の大事故が起きたことから、海が荒れるこの季節に海上安全と大漁を祈願し、家内安全を祈るために始まったというのがその由来。いまでも漁師の年とりの日でもある立春の日に、大きなタラを担いだ漁師たちが金浦山神社(このうらやまじんじゃ)まで行列し、神社にタラを奉納する。金浦の漁師にとっては「掛魚が終わってからやっと新しい年が始まる」というほどに大切な行事だった。

ちょっと寄り道――「本荘ハムフライ」の宴

 翌日の掛魚まつりに備えて、金浦から電車で数駅の羽後本荘駅近くに宿をとった私を、楽しい宴が待っていた。いつも仕事でお世話になっている方が地元の方を紹介してくれ、急遽懇親会が催されることになったのだ。由利本荘の焼き鳥の名店だという一平に集まってくださったのは、由利本荘名物の「本荘ハムフライ」でまちおこしに取り組んでいるハム民の会の今野さん、佐々木さん、山崎さん、佐藤さん。さっそく打ち解けて、地元の食の話に花を咲かせる間にも出てくる出てくる、秋田・本荘のうまいもの。うん、旅の夜はこうでなくっちゃ。
 まず楽しみにしていた本荘ハムフライが運ばれてきた。実は羽後本荘に宿をとったのは、本荘ハムフライを食べてから行こうと企んだのが理由。さっそくかぶりつく。薄くスライスしたプレスハムに衣をつけてからりと揚げたハムフライは、どこか懐かしいおやつ感覚。それもそのはず、本荘ハムフライは本荘で1960年前後(昭和30年代)くらいまで子どものおやつや学校給食のメニューとして愛されていたものなのだ。近くにプリマハムの子会社の工場があり、ハムが身近だったことから生まれたもので、近年まちおこしのためにご当地グルメとしてめでたく復活した。 
 ハムフライの次は比内地鶏の焼き鳥にきりたんぽ鍋、地鶏のさしみ、ガサエビの素揚げ。きりたんぽ鍋は、以前旅館などで食べたときには加減がわからずにくたくたになるまで煮込んでしまったけれど、地元の方に作ってもらうと野菜山菜がシャキシャキして、きりたんぽも絶妙なあんばいだ。ガサエビは、前回鳥取に行ったときに時期が早くて食べることができなかった「モサエビ」と同じもの。深海で獲れるエビだが、足が非常に早いので市場に流通せず、地元でしか食べることができない幻のエビと聞いていた。まさか本荘で出合えるとは。地鶏のさしみも新鮮でないと味わえないものだが、鹿児島で小さい頃から薩摩地鶏の鳥刺しを食べて育った私にとっては、この味わいが懐かしくもある。
 すっかり満腹ご機嫌になった頃、
「本荘に来たならアサラーに行ってみれば?」
と言われた。思わず
「アサラーってなんですか?」
と答える。アラサーじゃないよな。浅漬けにラー油? それとも朝のラーメン? 不思議がる私が教えてもらったのは、由利本荘独特の食文化・朝ラーのことだった。

知られざる本荘の食文化・朝ラー

「朝ラー」とはやはり「朝ラーメン」の略だった。朝ラーの聖地ともいうべき清吉そばは、昔は朝市があった場所の近くにあり、朝市帰りの客のために早朝から店を開けていた。それがいつしか本荘の名物になり、いまでも本荘ではラーメン屋数軒が朝5時から開店していて、朝から行列ができるほどのにぎわいだというのだ。しかも寒い土地なので、車に乗ったままで行列を作る。そんな珍しいものがあるなら、やっぱり行ってみなくては。ということで、ナビゲーターを務めてくれることになったハム民の会の佐藤さんと早朝に待ち合わせして、私は宿に戻った。
 翌朝、小雪がちらつくなか、佐藤さんと落ち合って清吉そばを目指した。朝ラー時刻としてはちょっと遅めの朝8時台に店に着くと、行列はすでに終わっていたが、店に入ってまずびっくり。銭湯の番台さんのように入り口に人が座っている。佐藤さんに薦められたとおり清吉そばと肉鉢を頼むと、プラスチックの番号札を渡された。店内にはすでに人がまばらだが、これはまだ人が来ていないからではなくて、満員だった時間が過ぎて客がひけたからだという。
 しばらくして運ばれてきた清吉そばは、鶏でダシをとったあっさり醤油スープのラーメン。これについてきた小鉢がまた面白い。小鉢の中身は天かすで、お好みでラーメンに天かすを加えて味を変えながら食べる。肉鉢はダシをとったあとの親鳥の肉を小鉢にしたもの。焼き鳥などに使われる鶏肉はひな鳥の肉だが、こちらは親鳥の肉なので、コリコリと歯ごたえがあってくせになるおいしさだ。
 実は内心「早朝にラーメンなんか食べて大丈夫だろうか、もたれないだろうか」と心配していたが、それは杞憂だった。脂分もほとんど感じられないあっさり鶏ダシラーメンはまさしく朝仕様。「朝ラー食べてから出勤する人もいるんですよ」と佐藤さんが教えてくれたけど、うん、このラーメンなら朝食でもいける。それにしても地元ならではの食っていうのは、つくづく足を運ばないと出合えないものだな、ネット上の情報では出てこないものだな、と感心しながらラーメンをすすった。

巨大なタラが港町を練り歩く――迫力満点のタラ行列

 初体験の朝ラーを終え、掛魚まつりも一緒に来てくれるという佐藤さんと一緒に、清吉そばをあとにした。にかほ市に向けて海岸線を南下すると、ところどころに大きな風力発電機がある。日本海から吹く風が相当強いということだろう。20分ほど車で走り金浦漁協に着く頃には、日が射し始め、あたりはポカポカと暖かくなった。
 漁協の駐車場に降り立つと、建物の前に停められた軽トラックの荷台に何やら発泡スチロールに入れられた黒い物体がぬらぬら光っている。何だろうと近づくと……巨大なタラだ! しかも恨めしそうにこちらを見上げている。1メートル弱あるだろうか、こんなに大きなタラはいままで見たことがない。タラの姿に目が釘付けになっていたところ、建物のなかから神楽の笛の音が響いてきた。神楽を先頭にタラをぶら下げた漁師たちの行列が出発しようとしている。掛魚まつりの始まりだ。私も急いで行列を追って駆け出した。
 竹竿に縄でゆわえられたタラの重さは15、6キロもあり、1人ではとても担げないので、大人2人がかりでぶら下げて運ぶ。漁港から、住宅街へ、そして金浦山神社へと行列が進むと、タラ行列の後ろからぞろぞろと見物客があとを追う。金浦山神社の階段を上り拝殿前に着くと、物干し竿のような長い竿に運ばれたタラがずらりと掛けられた。
 奉納されるタラはメスだけで、腹にはたっぷりのたらこを蓄え、はちきれんばかりにふくらんでいる。境内に何十本もタラがぶら下がる光景は迫力満点。だが、近くで凝視するとなんとなく大きなオタマジャクシのようにも見えてくる。陸に揚がってもなおぬらりと濡れたように光る体色を見ていると、昨日見た鈍色の海を思い出した。

しばれる冬のご馳走――味噌風味のタラ汁「ざっぱ汁」

 神社での神事が終わると、今度はタラ汁の振る舞いがある勢至公園に向かった。公園に入ると、大漁旗が風にはためきいかにも漁師の祭りらしい風情を醸し出していて、地元の神楽保存会の子どもたちによる金浦神楽(きんぽかぐら)の奉納もおこなわれていた。そのうちに日がまた陰り、海から冷たい風が吹いてきた。タラ汁振る舞いの行列に並ぶ間にも、あっという間に体の芯まで冷えていく。寒さに慣れているはずの佐藤さんまでブルブル震えて寒そうだ。
 風の冷たさはこたえるけれど、その風に乗って味噌のいい香りが漂ってくるのはたまらない。地元のおかあさんたちがこしらえたタラ汁は、ぶつ切りにしたタラの身とアラを味噌で煮て、ネギを散らしたもの。昔は各家庭で作っていた料理で、秋田弁でいうと「ざっぱ汁」、青森では「じゃっぱ汁」と呼ばれるものだ。
 しばらく待つとわれわれの順番が回ってきた。大鍋からジャッとよそわれたタラ汁を受け取って、池っぺりのベンチに座り、さっそくひと口ほおばった。味噌味でぷりぷりのタラの身がたっぷり入ったタラ汁はあたたかく、しばれる寒さに冷えきった体に染み渡るよう。無言で汁をすすっていると、なかからプニプニした褐色のアラが出てきた。タラの肝だ。「この肝がおいしいのよ、通は肝いっぱい入れてくれって言うの」とタラ汁をよそうおかあさんが言っていたっけ。濃厚で舌に乗せたらプニュッと崩れる肝はことのほか美味で、肝がほかにも隠れていないかと探すうちにあっという間にたいらげてしまった。

負けないし強い――気性を育む日本海

 勢至公園のベンチから見える小高い丘は勢至山。「あれが金浦の漁師さんの山なの」と教えてくれたのは、ハム民の会の紹介でお話を聞かせてくれることになった金浦の高橋利枝さんだ。「昔は灯台もGPSもなかったでしょ。だから漁師さんは海に出ると、自分の位置を知るためにあの山を目印にしたの。山だてといって、船の上から勢至山を見つけて、周囲にある鳥海山と太平山を見比べながら自分がいる位置の見当をつけた。漁師さんのいちばん大事な山で、漁師の守り神なんです」
 金浦の漁師はかたくなで気性も言葉も荒い。でもそれは当然のことなんだと高橋さんは言う。「あんなに荒れる日本海が相手なら、内陸の人のようにゆったりしていたんでは生きていけないでしょ。同じ秋田でも気性が違うのはそのせいでしょうね。昔はいまのように大きな船ではなく、木の船で漁に出ていたから、実際に私が小さい頃には漁で亡くなる方が多かった。でもいちばんすごいのは漁師のおかあさんかもしれない。一度海に出たら無事に帰ってこれるかもわからない夫を、毎日海へ送り出すんだから。それは女の立場からするとすごいことですよね。漁師のおかあさんたちは、花見のときに勢至山のてっぺんの祠と周辺にある33の観音様を全部まわって、海での安全を祈るんですよ」
 仙北や鹿角などの内陸は冬は深い雪に覆われるので、春が来るのをじっと待つことが必要だった。山あいの乳頭温泉のあたりは雪深く、冬に訪れると雪に閉じ込められたように感じられるくらいだ。だからだろう、内陸の人はゆっくりしているし、穏やかな人が多い印象がある。でもそんなふうにしていたら金浦では生きていけない。
「海も今日は珍しく穏やかだけど、いつもはもっとすごいのよ。防波堤を波が越えてくるから。雪も、金浦では上から降るんじゃないの、海風に吹かれて横から飛んでくるの。でもそれが好きですね。冬の荒れた海こそ日本海。こういう海の近くで生きてきたから、金浦の人は負けないし強いの」と高橋さんは笑った。

ハタハタとタラが来たら親が死にそうなときでも漁に出る

 ところで掛魚まつりで奉納されるタラはなぜメスだけなのか。それにはこんな訳がある。秋田ではタラの白子のことを「だだみ」という。だだみは新鮮でなければ食べられない食材なので、昔は地元でだけ消費されていた。一方でたらこは塩漬けにすれば保存がきくので、たらこをもつメスのタラのほうが高値で取り引きされた。
 掛魚まつりが始まった頃、金浦の漁師は税金を貨幣でなく魚で納めていた。高価なメスのタラならばたくさん種類を納めなくてもタラ1匹で税金がまかなえたため、メスのタラはとりわけ珍重された。掛魚に最も貴重で高価なメスのタラを奉納したのは、そのほうがご利益があると考えたからだった。海での安全は命に関わる大問題だったから、いちばん上等なものを捧げて、安全と大漁を祈願したのだろう。江戸時代はそのときに揚がった魚をなんでも奉納していたが、徐々に現在のようにメスのタラだけになったという。
 昔は金浦山神社ではなく、漁師の氏神だった「飛」集落の神社で祭りをおこなっていた。最初は漁師だけの小さな祭りで、タラ汁は祭りのあとに直会で食べるものだった。40年くらい前からは観光化され、金浦山神社での神事と勢至公園でのタラ汁振る舞いと合わせてイベントとして開催されるようになった。いまでは漁師だけでなく地元企業や学校も参加して、地域をあげてのイベントになっている。
 金浦で冬にとれる魚の代表といえばハタハタとタラ。波が荒いときしかとれないハタハタと高価なタラがやってきたら、その日は漁師の稼ぎどきだ。
「ハタハタとタラが来たら親が死にそうなときでも漁に出る」
金浦にはそんな言葉も残されている。荒海に挑む漁師たちの姿が目に浮かぶようだ。

現代の縁起物が引き寄せた旅

 ハムフライと朝ラーと掛魚まつりの旅を終え、佐藤さんに送ってもらって秋田駅まで帰る道すがら、もう一度日本海を見たくなった。道の駅岩城に寄り道してもらい、駐車場から浜に降りると、またもや吹き付ける強風。砂浜の向こうにある日本海は今日は深い藍色だ。凍えるほどの寒さだが、この海と別れるのも名残惜しい。
 一日一緒に旅した佐藤さんと秋田駅で別れ、秋田新幹線こまちに乗り込んだ私は、ポケットのなかから記念にもらった「本荘ハムフライバッジ」を取り出した。何げなくその袋を見ると、そこにはこんな文字が躍る。

 本荘ハムフライは縁起物。
丸い形は円満をもたらし、
にっこり笑顔が福を呼び、
揚げ物だけにすべてが上がる

 なんと「本荘ハムフライ」も現代の縁起食だったのか! あの楽しい宴は縁起食が引き寄せてくれたものだったのかもしれないな。縁起食を探して旅に出て、旅先で現代の縁食に出合い、人とつながる。こういう旅はすてきだ。
 これまで訪ね歩いたまじない食=縁起食も最初はこういうふうに始まったのだろうか。はじめは確たる由来はなくても、いいことがありますようにという素朴な願いがあって、それを信じる人たちが増えて……。そうやって縁起食は育っていくのかもしれない。いつの日か、ハムフライが縁起物として有名になって、私のように遠路はるばるハムフライを訪ねる旅人が出てくるのかもしれないな。そんなことを考えながら、私は東京に戻った。

 

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