第8回 龍神様のナスが夏の毒消しに――お諏訪様のなすとっかえ(埼玉県狭山市)

吉野りり花(日本の旅ライター・旅エッセイスト。日本の食文化を中心に執筆)

 小学生の頃、図書館で「隠れ里」を扱った本を見つけた。山奥に人知れず存在する桃源郷。自分が知らなかった異世界がこの世界のどこかにある――? そう知ると、怖いけれど探しにいってみたい気持ちを抑えられなくなった。
 ある日の放課後、意を決してリュックサックに水筒とお菓子を詰め、山に向かった。山の奥のほうへ歩けばきっと隠れ里がある。そう信じてずんずん山奥へ進む。道路から林道へ、そして獣道へ。歩けども歩けども隠れ里は見つからず、だんだん日も傾いてきて怖くなった。泣きそうになって、来た道を戻る。子どもなので道はうろ覚えだ。案の定迷子になり、わんわん泣きながらなんとか下山したところを、捜し回っていた母に見つかってしこたま怒られた。
 思い起こせば、私は昔から民俗学の香りがするものが好きだった。どうしてだろうと考えると、どうもわが家がテレビ禁止だったことに原因があるように思えてならない。
 テレビ禁止令はかなりの戒厳令で、NHKの教育テレビだけはOKという例外があったものの、アニメもドラマもバラエティーも見ることができない。キラキラのアイドルも知らないし、友達からテレビの話をされても話の輪に入ることもできない。そんな私は子ども向け番組のかわりにNHKの紀行ドキュメンタリー番組に夢中になった。だからこそ、紀行番組から流れてくる各地の風景や祭りの風景は娯楽だった。
 豪雪地帯の養蚕のドキュメンタリーや、漁村の風習を描くシリーズ番組はエキサイティングだったし、見たこともない土地の、自分が知らない風土での暮らしにはとても興味をそそられた。漫画も禁止されていたから、あとはひたすらに本を読み、野山を駆け回った。結果、見えないものへの妄想力だけはたくましくなった。妖怪図鑑で「川に棲む河童が尻小玉を狙っている」と知った日以来、川のそばを歩くたびに「尻小玉」を抜かれることを想像しておびえた。一反木綿は九州に出没すると知り、夜道が怖くなった。中学校の文集では切り絵で蛇女の絵を描いた。
 見えないものへの恐怖から脳内で異形の神を作り出し、勝手におののいておびえる。考えてみれば、妖怪はこうやって誕生したはずだ。電気と文明に守られた現代では妖怪のすみかはもはやないし、誰も妖怪を怖がってはいないけれど、おそらく私はテレビを見られなかったことで、はからずも一時代前の感覚を身につけて育ったのだと思う。母の策略にはまったというべきか、母のおかげというべきか。私が民俗学コンシャスなのはきっと母のせいだ。
 ところでテレビもなければインターネットもない時代、闇を象徴するものが妖怪や怪異譚だとするならば、光を象徴するものは祭りだっただろう。娯楽が少ない時代に、祭りというものはどれだけエキサイティングなものだったのだろうか。淡々と続く日常と、人の行き来が少ない閉鎖的なムラ社会に、ハレの日だけ突如現れる狂騒。祭りは人々の感情を解き放ち、文字どおりのお祭り騒ぎは最高の娯楽だっただろう。思えば現代では、この狂騒が毎日電脳空間に用意されているのだから少し怖い気もするが。
 さて、昔ながらの祭りにつきものなのが御神輿だ。神輿は祭事で神様が渡御するための乗り物となる。一般的な屋根が付いた神輿のほかに変わり神輿もいろいろある。男根や女性器をかたどった神輿は奇祭のシンボルとして有名だが、そこまできわどいものでなくても、全国津々浦々に珍神輿がある。その一つ、今回見つけたちょっと噴き出してしまいそうなおどけた風体の神輿が、埼玉県狭山市の「なすとっかえ」で登場するナスの神輿だ。

入間川諏訪神社に伝わる龍神伝説

 狭山茶で有名な埼玉県の狭山市は、池袋から西武線で40分ほどのところにあり、都心へのアクセスもいい場所。「なすとっかえ」は入間川4丁目にある入間川諏訪神社で毎年8月26日前後の土日におこなわれる行事で、畑で育てたナスを諏訪神社に持っていき、龍神様のナスととっかえてもらい、これを食べることで夏の毒消しにするというものだ。狭山市の無形民俗文化財にも指定されている。いつから伝わっているのか、なすとっかえにまつわる伝説はこういうものだ。
「むかし、諏訪の里にあるお諏訪様(入間川諏訪神社)の裏手に大きな底なし沼がありました。あるとき、この沼に住む魚が殺されたり、近くの田畑が荒らされたりということがたびたび起こりました。村人たちはこれはお諏訪様の怒りではないかと考え、大勢で里の安泰を祈りました。
 あくる日、朝の畑仕事を終えた村人たちが見たのは、ものすごい音としぶきを立てて、狂ったように暴れている大蛇の姿でした。村人たちはもう腰を抜かさんばかりに驚き、手に持っていた鎌や斧を放り出し、娘たちはとれたばかりのナスを投げ出し、家へ逃げ帰りました。
 このことを聞いたムラの屈強な若者たちが、おそるおそる沼にやってきますと、沼は何事もなかったように、ナスを入れていたかごが浮いているだけでした。
 そんなことがありましたある晩のこと、村長の夢枕に「私はお諏訪様の沼に住む龍神であるが、いままでたいへん騒がせてすまなかった。じつは、夏病に苦しめられていたときに、投げられたナスを食べたら、その苦しみも治った。これからは大神に仕え、村のために尽くすから許せよ」といいました。こうして、夏病に効くナスの効用を知りました。村人は年に1度の大きい祭りには、神前にナスを供え、そのうちのいくつかを龍神からいただき、夏病悪疫を避けたということであります。また、龍神の姿から養蚕、苗代を荒らすネズミよけとしても効くといわれています」(狭山市ウェブサイトを参照)
 龍神様のナスが夏の毒消しになるというなら、見てみなければ。そう考えた私は、汗が玉になって浮き出てきそうな夏の終わりに、一路狭山市を目指した。

夏の毒消し、龍神様のナス

 住宅街の一角にある諏訪神社に着くと、ちょうど神事が始まるところだった。神前に献上されたナスに祝詞が上げられ、氏子さんらが玉串を奉奠する。最近では地区の夏祭りと同時開催されているらしく、境内には鮮やかな紅白の盆踊りやぐらが組まれ、その先には……。あった、あった。ナスの神輿も出番を待っている。

 神事が終わると、地域の方々が三々五々集まってきた。ビニール袋にナスを入れて持参したおばあさんがかわりにナスを受け取って帰る。昔は自分の家で作ったナスを持参し、龍神様のナスととっかえて=取り換えていたらしい。しかし最近では農業を生業にする人も減り、ナスを作る人も少なくなったため、厄除けナスというかたちで販売するようになった。自分の家の畑から持ってきていた頃はおっきいナス、ちっちゃいナス、丸いナスと形もさまざまだったそう。

「それにしても、なんでナスだったんでしょうねぇ」とつぶやいた私に、なすとっかえの由来を教えてくれたのが狭山市教育委員会の半貫芳男さんだ。
「やっぱりこの時期いちばん多く収穫できた旬の野菜がナスだったんでしょうね。狭山は昔から土地が豊かで、このへんも昔は畑ばかりでしたから。養蚕も盛んでしたよ」
と懐かしそうに話す半貫さんは、狭山にはほかにもどぶろくを使った「甘酒祭り」があること、入間川を挟んで村が分断されたことなどを教えてくれ、思い出したようにこう言った。
「龍神様の池、見てみますか?」
 なんと龍神様の池は実在したのか? がぜん興味津々の私は半貫さんに案内され諏訪神社横の小道に踏み込んだ。
「いまはもう池はないんですけどね。湧き水は残っているんです」
と半貫さんが案内してくれたのは、昔は湿地だっただろうと想像できるぬかるんだあぜ道。その先の「水祖神」と刻まれた小さな祠の脇では、湧き水がチョロチョロと流れ出ている。
「竜神様の祠ですよ」
と半貫さんが言う。県道からほんの一分入っただけなのに、神社の裏手にあるここは薄暗い。日が沈んだあとに、池のほとりに立ったら、どんな感じだったろうか。きっと池の水は飲み込まれそうな漆黒で、底なしの沼には龍が棲み……。そう考えると足元がひんやりしてきた。いかんいかん、小さい頃のクセでまた異界に引き込まれそうだ。

ナスの神輿が住宅街を練り歩く

 しばし異界に思いを馳せながら諏訪神社に戻ると、軽トラックに乗せられたナス神輿が神社を出発するところだった。これから子どもたちがナス神輿を担いで街を練り歩くのだ。とはいえ、最近では坂道を登るのは大変だということで坂の上の公園までは神輿を軽トラで運び、そこから行列を始めるという。私も半貫さんと一緒に公園まで歩くことにした。
 公園に着くとナスの絵が描かれた提灯が掲げられ、法被姿の子どもたちがスタンバイしている。しばらくするとナス神輿の行列が始まった。ナス神輿が住宅街を練り歩く。子どもたちの手によって巨大なナスがひょこひょこと担がれていく。ふと見ると蝶まで飛んでいる。これは、なんと平和でほほ笑ましい光景なんだろうか。しかしなぜナスは神輿にまでなってしまったのか……と考えようとしてやめた。目の前の風景はかわいらしくて、ちょっと噴き出してしまいそうな感じ。もうそれだけで楽しいからいいや。この「なんじゃこりゃ?」感も祭り独特のエンターテインメントなのだ。もう特に理由なんて求めなくてもいいや。
 そんなふうに思いながら、隣を歩く半貫さんに「あの厄除けナスはどうやって食べるんですか?」と聞いてみた。「うーん、普通のナス料理ですよ。天ぷらとか煮びたしとか。でも天ぷらにするとかえって胃もたれしちゃいますかね。夏の毒消しなのに」。半貫さんの答えもこれまたほほ笑ましく、この日常にすっと溶け込んでいる感じが私にはまたまたツボだった。神輿が神社に戻ると、夕方からは盆踊り大会。ナスに彩られた一日はまだまだ終わらない。

水の神様・龍神とは――水神伝説や水神の祭りについて

 なすとっかえの伝説の中心になるのは龍神様だが、水神と同じような位置づけで伝承されることが多い龍神とはどんな神様だったのか。その存在は日本人にとってはポピュラーであり、その名を聞いたことがない人は少ないだろう。しかし意外なことに龍神の正体は定かではないようだ。もともと龍は中国で生まれた空想上の動物で、巨大な蛇のような体躯に足が生え、雲をつかみ空を飛ぶ。寺院の天井に雲をつかむ龍が描かれているのを見たことがある人も多いだろう。
 中国では龍は水を招き寄せると考えられ、黄河が氾濫したときには龍神に牛馬を生贄として捧げる風習があった。そういった中国での龍神信仰が仏教伝来とともに日本に伝来し、水神信仰と結び付いたようだ。
 私が小さいときに住んでいた家の裏手には水神社があり、年に1度はお祭りもあった。けれど、水神様ってなんだろうと考えてもはっきりとしない。大人に聞いても「龍」と答える人もいれば、「河童」と答える人もいた。『遠野物語』(1910年)を書いた柳田国男は「河童は水の神が零落したもの」と記している。
 いまだに川や農業水路が多いところに行けば水神様の祠は多いし、井戸の神様も水神様として祀られている。水は生活のすぐそばにあるものだから、自然と感謝の対象になって信仰が生まれたのだろうか。このように水神は漠然としながらも、昔の生活のそばで確かに信仰されていた。その背景には、水への恐れと感謝があったのだろう。農耕民族だった日本人にとって、稲を育てるために雨は欠かせない。雨が降らなければ、稲は実らず、命をつなぐことはできない。けれども、雨が降りすぎれば稲は腐ってしまうし、河川が氾濫すれば災害にも発展する。そう考えれば、水や雨や河川を司る「水神」の存在への信仰が生まれたのはとても自然なことだ。

水神信仰と食べ物

 なすとっかえの龍神は「夏の毒消し」をもたらしてくれるが、水神様にまつわる「まじない食」はほかにも各地にある。「第5回 豆腐を食べて1年分の嘘を帳消しに――「八日吹き」のうそつき豆腐」で紹介した鳥取の「かまやき」はみょうがを載せて焼いたおやきのような餅で、子どもたちが川でおぼれないようにとの祈りが込められていた。新潟県新潟市内は水害が多く、昔は水路に水神様が祀られていて、水神様の祭日になるとお供えとして舟に「川海老の煮物」を載せて流す風習があったそうだ。この風習は残念ながら現在実際におこなわれているかどうかが確認できないが、市内在住の方によると個人宅ならばまだおこなっているところがあるかもしれないとのことだった。
 ほかにも水神にまつわる伝承行事としては秋田県横手の「かまくら」や、四国各県に伝わる雨乞い踊りがある。降らなくても困る、降りすぎても困る。思いどおりになど到底ならない雨や水に対しての小さな祈りが「かまやき」であり「川海老の煮物」だった。
「厄除けナス」は龍神の病を治す役割を人間が投げたナスが担ったことから、一転してナスが人間に利益をもたらしてくれるものに変化していることも興味深い。自然を制するのではなく、利を与え、利を得る。これは、常に自然と共存してきた日本人ならではの方法なのかもしれない。

 

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