第5回 豆腐を食べて1年分の嘘を帳消しに――「八日吹き」のうそつき豆腐(鳥取県鳥取市河原町)

吉野りり花(日本の旅ライター・旅エッセイスト。日本の食文化を中心に執筆)

倹約のために豆腐を食べるべし――鳥取と豆腐、因縁の歴史

 日本のあちこちを旅していると、同じ日本といえどもその地方独特の県民性というものは確実にあると感じさせられる。もちろん個人差はあるだろうし、全員には当てはまらないのだろう。けれど土地独特の気質はある。たとえば名古屋人は派手なことが好きだし、北海道人は概してのんびり屋でおおらかだ。東北岩手の遠野の人は人懐っこくてよそものにやさしいけれど、反対に私の故郷である九州鹿児島の人間は排他的なところがある。どうしてこんなに違うのか。県民性はどうやって作られるのだろう。そう考えてみると、その背景には土地の地理的条件が大きく関わっていることに気づく。
 広大な大地がどこまでも続く北海道では、小さなことは気にならないだろう。宿場町の遠野では内陸や沿岸から人の往来が絶えなかったから、よそものをあたたかく迎え入れる風土があったのだろう。半島の周囲をぐるっと海で囲まれた鹿児島では、海から襲来する敵を警戒する必要があったのではないだろうか。
 では山陰地方の鳥取はどうだろう。いまでは米子市や鳥取市は栄えているが、もともとは山がちで山村が多かった鳥取では、人々は控えめで真面目だし、倹約が好きな傾向があるとも聞く。
 真面目で倹約家。そんな鳥取人の気質に関わり、鳥取の食文化に根づいた食べ物が「豆腐」だ。江戸時代の因幡地方(鳥取市がある鳥取県東部)では漁港の開発が遅れ、魚があまり手に入らなかった。そこで貴重なたんぱく源になったのが大豆だった。畑作ではなく稲作が中心だったが、田のあぜを利用して大豆が栽培され、各村には豆腐小屋があってそこで豆腐を作っていたという。
 さらに豆腐が鳥取食文化に欠かせない存在になるきっかけがあった。それは1648年に鳥取城に転封になった鳥取藩主・池田光仲が、「倹約のために魚ではなく豆腐を食べるべし」と命じたことだった。お上の命令とあればせっせと豆腐を食べなければならない。こうして因幡地方には豆腐を使った数々の郷土食が生まれた。
 B-1グランプリで知名度がアップした「とうふちくわ」は、すった豆腐と魚のすり身を合わせ塩を加え、ちくわのように棒につけて蒸したもの。見た目は真っ白なちくわで、頬張ればほんのりと豆乳のような香りがする。上品な味わいが好まれて、ハレの席にも登場した。豆腐を使った炊き込みご飯の「どんどろけ飯」というものもある。「どんどろけ」とは方言で雷のことで、豆腐をする音がゴロゴロと雷が鳴るように聞こえるから「どんどろけ飯」。名前を聞くだけで料理風景が目に浮かんでくるような、なんてすてきなネーミングだろう。「こも豆腐」は、わらつと納豆のわらつとのような「こも」に包んだ豆腐を蒸すか茹でるかした豆腐料理で、真ん中にニンジンやゴボウが入っていて、お祝いの席に喜ばれた。こんなに豆腐料理が多いのも「節約のために魚ではなく豆腐を食べろ」と殿様に言われたのが発端なのだとしたら、言ってみれば因縁のような歴史なのだが、これが鳥取に多彩な豆腐食を花開かせたのだから食文化はつくづく面白い。
 さらに鳥取には豆腐を使った面白い風習がある。12月8日に豆腐を食べると1年分の嘘が帳消しになるという「うそつき豆腐」の風習だ。1年分の嘘が消えるなんてドラえもんの道具並みにミラクルな機能だし、1年の終わりに心にひっかかっていた嘘が消えてしまうならさぞやすっきりするにちがいない。でもなぜ豆腐なんだろう? どんなふうに食べるのかも気になる。嘘を消してくれる豆腐を一目見てみたい、食べてみたい。そう思った私は、師走のある日、「うそつき豆腐」を食べる「八日吹き」の行事がおこなわれる鳥取市の河原歴史民俗資料館に向かった。

誓文払いがルーツだった――嘘が帳消しになる由来

 鳥取駅前からバスに乗り河原町を目指すと、じきに窓の外には千代川のだだっぴろい河川敷が広がった。都会のちんまりした川とは大きさのスケールが違うなぁ。ぽかんと眺めていると、今度は山の上にはちょこんと小サイズのお城が現れた。町おこしのために平成6年に建てられたというこの城は河原城といい、単調な風景のアクセントになっていてかわいらしい。
 河原町総合庁舎前でバスを降りて河原町中央公民館を訪ねると、係の方が建物の奥にある民俗資料館に案内してくれた。中庭に佇む民俗資料館はかやぶきの古民家で、軒先には干し柿が吊るされている。江戸時代のものを移築したというその佇まいはいかにも古きよき日本の農家といった風情で、こういう家で暮らしたことはないはずなのに、なぜか懐かしい気持ちになる。

 古民家のなかでは十数人のおじいさんおばあさんが行事の準備をしていた。河原町で昔の行事を継承する活動をしている「民俗行事を語る会」のみなさんだ。「こんにちは、東京から来ました」と挨拶すると「えー、東京から?」と驚かれ、「東京さん、こっちきんさい」とあたたかく迎えていただいた。東京から来たから、東京さん。こんなふうにすっと受け入れてくれるのがなんともうれしい。
 今年は12月11日の今日、本来は8日におこなう「八日吹き」と13日におこなう「すす払い」をまとめておこなう。どちらも以前は各家でやっていた民俗行事だが、いまは保存の意味もあり資料館で行事としてやっているという。古民家のなかには土間と畳の間があり、畳の間には囲炉裏が、そして土間には牛を飼うスペースがあった。岩手県では人と馬が一緒に暮らす曲がり屋が有名で、土間に厩があるけれど、鳥取では水田を耕すための牛が使役動物なので、家と牛舎が一緒になっているのだろう。台所には大きな釜がいくつも並び、もうもうと湯気を立てている。その傍らではほっかむりにエプロン姿のおじいさんおばあさんが、くるくると団子を丸め、豆腐を串に刺している。「これ、なんですか?」と尋ねると、「すすはきだんご。すす払いのときに団子汁に入れて食べるんよ」と教えてもらった。豆腐の串打ちをしていたおじいさんが「東京から来たの? あら、じゃいまから豆腐が落ちんようにしとかな」とおどけながら、手元の串を見せてくれた。「これ、灰の中に豆腐が落ちんように改良したの」と言うとおり、串の途中に段差が作ってある。この串に刺した豆腐をいまから囲炉裏で焼いて、「うそつき豆腐」として食べるのだ。

 土間の入り口付近ではワラを束ねて何かを作っている。こしらえているのはすす払い用の「すすはき箒」と「ねじ箒」。「すすはき箒」は竹竿の先に、大豆がら、青笹、福木を束ねて作り、屋根裏や家中のすす払いをするのに使う。福木を使うのには、家中の悪霊を追い払い福を授かるという「まじない」の意味もあるらしい。「ねじ箒」は新しいワラをひとつまみねじって作るもので、神棚の掃除に使う。旧暦の12月13日は正月事始めで、正月を迎える準備を始める日とされるので、「すす払い」として家中を掃除する習わしらしい。昔はどの家にも囲炉裏があり家のなかでまきを焚いたものだし、稲こぎや籾摺りなどの農作も土間でおこなったため天井がすぐにすすやほこりで汚れた。そのためこの日は一日がかりで神棚から天井、屋根裏、かまどを掃除し、障子も張り替えたという。しかしそこはさすがに現代、ブィーンと掃除機も使いながら手早く大掃除をすませるのは時代の流れだろう。そうして掃除が終わると、神棚に2対の松が立てられ、「すすはき団子」を入れた団子汁が供えられた。

あぶった豆腐にゆず味噌をつけて――うそつき豆腐の焼き豆腐

「さ、これが今日のメインイベント」と、語る会のみなさんが笑顔で囲炉裏を囲んだ。すす払いの様子を眺めていた私も囲炉裏端に招かれた。囲炉裏には豆炭が赤くチラチラと燃え、そこに先ほどの豆腐があぶられている。それを見ながら「どうして豆腐なんだろう?」とつぶやいた私に「うそつき豆腐」の由来を教えてくれたのが、「民俗行事を語る会」会長の谷幸彦(たにゆきひこ)さんだ。
「旧暦の12月8日は、この辺じゃ冬が厳しくなって海が荒れたんよ」と谷さんは話し始めた。日本海からの偏西風が冷たく吹きつけ、こたつを出すのもこの頃だった。「ことおさめの日」ともされ、農作物の収穫を見届けた田の神様がこの日に山に登って山の神になると信じられていた。神様は風や雲に乗って行き来すると考えられていたので、偏西風が神様を山方面に運ぶと想像されたのだろう。これから始まる厳しい冬への気構えをする意味合いも込めて「八日吹き」がおこなわれたのではないだろうかと谷さんは言う。
 また「うそつき豆腐」を食べる風習は「誓文払い」と関わりがあるようだ。「誓文払い」とは京都の呉服屋から始まった風習で、商売のために嘘をついた商人が四条京極の官者殿(かじゃでん)に参拝し、1年分の嘘を帳消しにしてもらうというもの。このときに罪滅ぼしのために安売りをすることから歳末大売り出しの起源にもなった。京都や大阪、博多など「誓文払い」行事が祭りとして残っているところも多い。
 それにしても京都で始まった「誓文払い」が、なぜ鳥取では「嘘を消すために豆腐を食べる」と変化したのか。それも不思議だが、「嘘と豆腐の関係ははっきりとはわからないが、呉服問屋のまかないで豆腐田楽を食べることが多かったことと関係があるのかもしれない」というのが谷さん説だ。豆腐屋が商売の知恵として、「うそつき豆腐」を広めたという説もあるという。なるほど、ひょっとするとバレンタインのチョコレート戦略だった可能性もあるというわけか。
 ちなみに因幡地方では「うそつき豆腐」だが、鳥取砂丘に近い「摩仁寺」では12月8日にお参りすると1年分の功徳があるとされ、参拝者は「こんにゃく田楽」を食べる。伯耆地方では「うそつき祝い」として豆腐ではなくそばを食べるという。
 話に聞き入っていると、よく焼き色がついた豆腐を皿に取り分けたものを手渡された。焼き豆腐に2種類のゆず味噌をたっぷりのせて、豆腐田楽にして頬張れば、大豆の味がギュッと凝縮された焼き豆腐に甘酸っぱいゆず味噌がマッチして、素朴ながらもとてもおいしい。
 それにしても人間誰しも大なり小なり嘘をつくものだし、それが帳消しになるならありがたいじゃないか。ところで自分が今年ついた嘘は……と考えていると、テーブルのほうから「東京さんも、こっちきんさい」と手招きされた。すす払いを終えたみなさんで会食を始めるというので私も移動し、いそいそと席につく。卓上にはゆず味噌をのせた「うそつき豆腐」の湯豆腐と、「すすはき団子」の団子汁、それにご飯。根菜やこんにゃくが入った味噌味の団子汁からはふわりと湯気が立ち上り、甘酸っぱいゆず味噌はマーマレードのようで、甘辛いほうはご飯にのせてもいける。ドンドン食べて、と言われ勧められるままにお替わりまでいただいた。「いやぁ、これで今年も安心だ」「忘年会じゃ」とみなさんも楽しそうだ。

民俗行事とは、感謝してごちそうを食べて教訓を与えるもの

 食べながら私は、先ほどの囲炉裏端での会話を思い出していた。豆炭が小さく瞬くのを目を細めて見つめながら、谷さんは言った。「私らが信じてる神様はね、一神教の神様とは違う。私らは農民だから、田の神様、山の神様、家の神様、いろんな神様に感謝してお祈りする。民俗行事っていうのは感謝してごちそうを食べて教訓を与えるもの。そういうものだと思うよ」
 今日の行事なら、「嘘はほどほどに、家はきれいに掃除して、本格的な冬がくる前に心構えをして」が教訓だろうか。因幡地方には面白い食の風習がほかにもあり、夏に千代川で子どもたちが泳ぐ前には「かまやき」と呼ばれるそら豆の餡を包んでみょうがの葉をのせて焼いた「おやき」のような餅を食べてから入るようにしていたという。それも川で泳ぐ子どもらがお腹を冷やさないように、流れに足をとられて溺れたりしないように、気を引き締めるきっかけを作る役割をもっているのだろう。
 民俗行事は自然や神様に感謝をしてごちそうを食べて教訓を与えるためのもの。探していた答えのひとつを教えられた気がした。私はそれがなんともうれしくて、ここまでやってきてよかったとしみじみ思った。
 帰り支度をしていると「民俗行事を語る会」の方がこんなふうに問いかけてきた。「こういうのはどこでもやってるんとちがうの?」。私は首をかしげた。河原にはいまはまだしっかりとこういう習俗が残っている。だから河原の人たちにとっては、こういう行事がどこにでもあるありふれたものに感じられるのだろう。でも、私にとっては違う。私は「いえ、私の田舎ではもう見ることができなくなりました」と答えた。
 祖父や祖母が健在だった頃は、わが家でも正月準備で餅つきをしていた。大みそかが近づくと庭に臼と杵を用意し、祖父が杵をペタンペタンと振り下ろし、合間に祖母がくるんと器用に餅をひっくり返して餅をついた。つきたての餅はまだほんのりとあたたかく、大根おろしと醤油をからめて食べる「おろし餅」がとてもおいしかった。ついた餅を大きく丸めて大小二つの餅で鏡餅をあつらえ、それから丸餅、伸し餅を作り、最後に野でつんできたよもぎの葉を使って餡入りの「よもぎもち」を作る。それがわが家の習わしだった。年が明けて小正月がやってくると、木の枝に花を咲かせるように色とりどりの「メノモチ」を飾る。端午の節句には「あくまき」を蒸す。集まりのたびにサツマイモを使った「がね」を揚げる。そんな風習も祖父母が他界してからはやることもなくなった。「あくまき」や「がね」はいまでも母が1人で作っているが、何世代も集まって大々的にやる機会はもうない。ときおり懐かしく思い出すふるさとの風景を、残念だけれどいまでは見たくても見ることができない。むしろ、あの感覚をもう一度味わいたくて、私はここまでやってきたんだ。
 高校を卒業して故郷から上京するときには「東京にはなんでもある」と思っていた。刺激的なものも最新のものも、本も音楽も映画も、田舎にないものがたくさんある。それだけが文化だと勘違いして、私はふるさとを切り捨ててしまったんだと思う。そのことをいまごろになって後悔している。鮮やかなメノモチを飾る家もいまではほとんどなくなった。祖母も亡くなり、祖母が作る「あくまき」ももう食べられなくなってしまった。いつまでもあると思っていたのに、なくなってしまってやっと気づく。ありふれた日常の風景や食がこんなにも懐かしく尊いものだったなんて。
 民俗行事や食の風習は農村や漁村の暮らしに根ざしていたものだけに、機械化や都市化が進んだいまでは存在する価値を失いつつあるし、継承する人もいなくなりつつある。作り手のおじいちゃん、おばあちゃんも高齢化している。おそらくそれは気づかないうちになくなって、あと10年もすればあったことさえも忘れられてしまうような、そんな不確かなものだ。でも自分たちの生活のそばにずっとあって、日本人がどう生きてきたか教えてくれるもの。素朴な祈りに根ざした、とても美しいもの。それを探して、私はここまで来たんだ。失われる前に、もう一度見つけたい。
 来てよかった――。そんな思いをかみしめながら帰り支度をし、「民俗行事を語る会」のみなさんに別れを告げる。「東京さん、ありがとね」と手を振って送ってくれるおじいさんおばあさんの笑顔がどうしようもなく眩しかった。

 

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