第4回 若者たちが切り分けた塩鯛を安産のお守りに――早魚神事(福岡県福岡市東区奈多)

吉野りり花(日本の旅ライター・旅エッセイスト。日本の食文化を中心に執筆)

 海はいい。大きくておおらかで。真っ青な海を眺め、寄せる波の音に耳を傾けていれば、小さな迷い事はどこかに飛んでいってしまう。同時に少し怖くなる。おだやかに波を寄せる海は、晴天には美しい姿で心を和ませてくれるけれど、荒天になれば鈍色に変色して何もかもを飲み込んでしまううねりになる。
 小さな頃、私も海辺に住んでいた。学校が終わると海に走った。引き潮の時間はフナムシがいっぱいのテトラポットの上に座り、海を眺めて考え事をした。潮が満ち始めるとすぐに陸に戻らないと海中に取り残されてしまうから、急いで浜に戻った。泳ぐときはサージに引きずられると溺れてしまうから慎重に場所を見定めた。そんなふうに子どもながらに潮の満ち引きや海の危険を感じ取っていたように思う。
 大人になってからも一時期海のすぐそばに住んでいたことがある。空が晴れていれば海は真っ青になるし、曇りなら灰色になる。そんなことも知った。雨の日や夜の海は全く表情が変わり、漆黒の闇のような色と、ゴォゴォと鳴る海が怖かった。日本列島をぐるっと取り囲む、あたたかくて恐ろしい海。
 その海とは人々にとってどんなものだったのか。それをのぞかせてくれるような神事に出合った。福岡県北部の小さな漁村・奈多に伝わる「早魚神事」だ。
「早魚神事」は若者たちが大鯛を料理する早さを競うもの。奈多の24歳から25歳の若者のなかからくじで選ばれた3人組が2組、生きた大鯛を素早くさばき、切り取ったヒレを早く神前に供えたほうにその年の漁場権が与えられる。そして神事で切り分けた鯛の切り身は安産のお守りにされるという。それをぜひ見てみたい。
 かつてこの神事は村を二分し、網元対網元で漁場権を争う競争神事だった。結果は村人の生活を大きく左右する一大事なので、ときには血を見るような激しい争いになることもあったらしい。そんな話を聞いた私は内心びくびくしていた。漁師といえば、筋骨隆々の逞しい海の男であるわけだし、当然腕っぷしも強いはず。祭りといえど途中でいきなりけんかが始まったらどうしよう。しかも当日は夜半まで夜神楽が奉納され、「早魚神事」が始まるのは深夜0時を過ぎた頃だという。はたして無事に帰れるのだろうか。漁村のお祭りは夜中どんな狂騒に包まれるのだろうか……。あれやこれやと恐ろしい想像もしながら、私は東京から福岡を目指した。
 博多から香椎を経由し、ぐるっと海の中道方面へ。東京と寸分変わらない都会・博多の喧騒はどこへやら、香椎から先はのんびりとしたローカル線に揺られ、ほどなく奈多駅についた。日がとっぷり暮れた頃、私はおっかなびっくり会場の奈多公民館に足を踏み入れた。
 館内には舞台がしつらえられ、地元の人がぼちぼちと集まってきている。あいさつすると「なに東京からきたんね。どうぞどうぞこっちで見てて」と拍子抜けするほどにあたたかく迎えられた。よかった。いそいそと席につき、夜神楽が始まる20時を待った。

神功皇后伝説が残る美しい漁村・奈多

 奈多は福岡市東区にあり、現在も人口が増え続けるベッドタウン。海の中道へと続く半島の付け根に位置し、南北を海に挟まれた穏やかな海辺の町だ。かつては町中に小さな路地と水路が張り巡らされ、魚を載せたリヤカーが行き交うような活気ある漁師町だった。
 玄海灘に面した吹上浜には白い砂浜と松林、青い海が広がり、青と白のコントラストが言葉をなくしてしまうほどに美しい。さらにこの浜は神話伝承の地でもある。『日本書紀』に登場する神功皇后にまつわる伝説の数々だ。

 神功皇后は仲哀天皇の妃で、応神天皇の母だった人物とされ、新羅に攻め入った際に軍議所が設けられたのがここ奈多だったという。さらに戦から戻る道すがら、嵐に遭い船が動かなくなったとき、皇后が必死の祈りを捧げて漂着したのも奈多の海だった。命が助かったことに感謝して、皇后が創建したのが吹上浜の松林に鎮座する志式神社だと伝わっている。
 その志式神社で11月19日、20日におこなわれる「奈多くんち」のなかで奉納されるのが「早魚神事」だ。奈多の人々の祖先が神功皇后に献上する料理を作ったという故事にちなみ、1,000年以上の歴史があるといわれる。昔は早さを競ったが、いまでは古式にのっとって形どおりに伝承されているという。

勇壮な海の祭り 「奈多くんち」

「奈多くんち」は昔は当座のほうの家に野舞台を作っておこなわれていたが、いまは奈多公民館に舞台を組み立てておこなわれる。昔は木臼12台、桟敷の床板12枚、その上を船の帆2枚で覆うという決まりがあったが、いまは木臼も手に入らなくなったため、決められた寸法に合わせて公民館内に舞台をこしらえるようになった。垂れ幕には鮮やかな鯛が描かれていて、祭りの主役が鯛であることがわかる。これから鯛がどんな形で料理されるのだろう? やがて舞台に神職が現れ、祭りが始まった。神職が舞台の四隅を祓うと、ウォーッと低く地を這うような祝詞が響いた。次にひしゃくに入った海水を舞台に撒き始めた。舞台を清めるのは海の力なんだ。早くも私は感動してしまう。「海には海のみそぎの形があって、山には山のみそぎの形がある」。そう教えてくれたのは奈多公民館長の木村洋さんだ。
 続いて舞台では夜神楽が始まった。神楽は安産の神様として有名な糟屋郡の宇美八幡の宇美神楽から全9番が奉納される。入れ代わり立ち代わり神話の登場人物が舞台で踊る。地元の小学生が「浦安の舞」を奉納する姿もかわいらしい。最初は静かだった会場も、「蛭子舞(えびすまい)」で、釣り糸に5円玉をつけたえびす様が満面の笑みで大きな鯛を釣り上げると、ドッと沸いた。「これから5円をいっぱい撒くので、お持ち帰りください」とアナウンスがあると、子どもたちがビニール袋を手に歓声を上げて舞台の前でスタンバイし、えびす様が投げる5円やお菓子に群がった。「磯良舞」では紙袋に入れた米が配られた。

「榊舞」「和幣舞」「浦安の舞」「蛭子舞」「扇舞」「蟇目舞」「大蛇退治」「粂舞」「磯良舞」と神楽が進み、時間はすでに深夜0時過ぎ。気がつけばもう4時間も神楽を見ている。だんだんと眠くなり頭がボーッとしてきた頃に、壇上にさっそうと若者たちが現れた。

日本男児にほれぼれ――若者たちの「かっこよすぎる料理姿」

 藍色の衿付き袷の着物に、襦袢1枚、角帯1本、白足袋1足。きりっと男前な若者たちがまな板を抱えてすっくと立つ。神楽に盛り上がっていた会場は、一気に厳粛な雰囲気に包まれ、シーンと静まり返った。ついに早魚神事の始まりだ。

「料理人」「ひれさし」「すり鉢」の3役を担う若者たちの表情は真剣そのもの。まっすぐに前を見据えて立っている。左右2組の代表である「料理人」役の若者が、大きなまな板の上に包丁と鯛を乗せたものを高く掲げ、そのままゆっくりと旋回する。「私たちはこんなに立派な大鯛を神に捧げます」という意味を込めた「姿みせ」の所作で、観衆にアピールする彼らの着物からスッと伸びた腕がなんともいえず逞しい。そして会場に「見事なおさかな、ご料理召され」と掛け声が響いた。

 太鼓がドンとなると若者たちが素早い動きで大鯛の料理にかかり始める。それからの一連の神事はまるでサイレント映画を見ているかのようだった。料理をする手つき、あっという間にさばかれる鯛と、会場にぶわっと立ち上る磯の匂い。ときおり、会場の古老から檄が飛ぶ。「かたち作れ!」「ぬかるなよ!」「落ち着け!」。若者たちの額からしたたる汗までも感じ取れるようで、包丁さばきや白足袋にまで日本男児を感じてドキドキしてしまう。
 真剣な料理姿がこんなにもかっこいいなんて。みるみるうちに大鯛はヒレを切り取られ、「早魚神事」が終わった。料理したばかりの大鯛とヒレを抱えて、1列に並ぶ若者たちの自信に満ちあふれた表情といったら。料理姿に、神事を終えたその表情に、はからずもときめいてしまい、もう私は動揺と興奮でわけがわからない。あっぱれ、そしてほれぼれだ。ああ、日本男児ってなんてかっこいいんだろう!
 舞台では切り取られたヒレが12本の竹につけられ、神職による神楽「鰭舞(ひれまい)」が始まった。

安産のお守りになる――塩鯛の切り身

 神事を終えた若者たちの表情に自信があふれていたことからもわかるように、この神事は漁師の世界で一人前になるための通過儀礼でもあった。そして彼らが料理した鯛の切り身は、安産のお守りとして氏子に配られる。宇美神楽の宇美は「産み」の「うみ」。安産の神様だということも、鯛の切り身が安産のお守りとされることに関わっているようだ。出産のときにこの鯛の切り身を食べると赤ちゃんがするんと生まれると信じられていたため、昔はみんなが欲しがって取り合いになった。そのため、少ししか手に入らなかったという。奈多の妊婦は、産気づくと少しずつこの切り身を口に含み、命がけの出産を乗り切った。受け取って大事そうに抱えるおばあさんもいたが、若かりし頃には安産のお守りとしてこれを食べたのかもしれない。
 ところで、どうして神事に使われる魚は鯛なのだろう。そう尋ねると「奈多では春先に底引き網で鯛漁をする。その鯛を塩漬けにしておいて11月の神事で使ったんじゃないだろうか。鯛はめでたい魚で、祝い事にもつきものだから」と、館長の木村さんが教えてくれた。

そして鯛はまた海へ返る――えびす祭りとヒレ流し

 深夜1時半頃に長い長い夜が終わった。宿に戻って少し眠った私は、翌朝ふたたび奈多に向かった。20日の今日、今度は志式神社で昨夜若者たちに切り取られたヒレを玄海の荒波に奉納する神事があると聞いたのだ。
 志式神社に着くと本殿の横にある蛭子神社の前に神職・座元・町内会の方が20人ほど集まっていた。松林の向こうには透き通った水色の海が見渡せ、雑木林ではときどき鳥がさえずる声が聞こえる。ぽかぽかと陽が当たる穏やかな朝、「えびす祭り」が始まった。
 蛭子神社の前には立派な鯛をはじめとした神饌が供えられ、神官が昨夜のヒレを持って神楽を奉納する。みんなが静かに祈りを捧げて、自然に溶け合いながら祭りがおこなわれている。少し離れたところからそれを眺めていると、その光景のあまりの美しさがじんわりと心にしみてきた。
 実は昨夜、宿に向かうタクシーのなかで運転手さんに「いま奈多で早魚神事を見てきたんですよ」と話してみたが、運転手さんは「へぇ、そんなのあるんですか」というつれない反応だったのだ。観光客も知らない、地元でさえ知らない人もいるような神事が、こんな美しい海のそばで土地の人によってしっかりと守られ、しめやかにとりおこなわれている。なんてすてきなことなんだろう。都会にはなくなってしまった日本らしさは、こういうところにひっそりと、でもちゃんと残っていたんだ。そう考えるとだんだんと涙まで出てきた。
「えびす祭り」が終わると、一行は列をなして吹上浜に向かった。そして海に祈りを捧げ、神官がヒレを玄海の荒波に投げて奉納した。神事に奉納された鯛が、ふたたび大いなる海に返っていく。その営みさえもぬけるような青い空と透明な海に吸い込まれてしまいそうだ。
「自分たちが若い頃はこの海ももっときれいかったけどねぇ。ここで毎日泳いでたんだ、勉強なんかせんでね。そう、この浜にはね、小林旭も来たんよ、ロケでね」とぽつりとつぶやく方がいた。でも私の目から見たら、いまでも何もかもが洗い流されそうにきれいな海だった。

博多に伝わる海のおきよめ「お汐井」

「奈多くんち」の始めには、海水で舞台を清める所作があったが、福岡には「お汐井」という興味深い風習がある。「お汐井」とは、海の砂をテボなどで採って、家の玄関横などに置いておき、外出する際には身に振り掛けておきよめをするというもの。おきよめの塩と同じように使われていて、「盛り塩」の起源なのではないかと考えられる。奈多のお年寄りはいまでも毎朝志式神社にお参りし、その足で浜に下りて、花テボで砂をすくい、持ち帰って「お汐井」にするという。
 博多を代表するお祭りである「祇園山笠」では、神輿の一種である「山笠」のおきよめに「お汐井」が使われ、祭りのなかで筥崎の浜に「お汐井」を採りにいく場面もある。海は神聖なものであり、不浄を清める力をもつと考えてのことだろう。かつて早魚の奉仕者に選ばれた若者には、母親でさえ触れることはできなかったという。同じ福岡県にある沖ノ島の宗像大社はいまでも女人禁制であり、島に入る男性は浜でみそぎをしなければならない。
「早魚神事」では網元のどちらが漁場権を得るのか、人間が決めることができない大切な決定を早魚に託した。これはひいては決定を海に託したということだろう。大切なことは海に決めてもらう。無事の出産も海に守ってもらう。海辺の人々の生活のそばには常に海があった。
 海がどれだけ神聖なものだったのか。海とはどういう存在だったのか。漁師町に伝わる伝統の神事がそれを教えてくれた。

 

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