第3回 巨大なワラ人形で厄落とし――若神子のほうとう祭り(山梨県北杜市)

吉野りり花(日本の旅ライター・旅エッセイスト。日本の食文化を中心に執筆)

山梨の県民食「ほうとう」を使ったまじない食がある?

 山梨県の郷土食に「ほうとう」がある。「ほうとう」は小麦粉で作った幅広の麺で、うどんとよく似ている。他県の人間からすれば「うどんの仲間か?」くらいに思う「ほうとう」だが、名古屋人にとって「きしめん」が「うどん」とは別ジャンルの食べ物であるように、山梨の人にとっては「ほうとう」と「うどん」はれっきとした別料理のようだ。
 よく知られている食べ方は味噌ベースのつゆでかぼちゃを入れて煮込んだもの。かぼちゃが溶け込んだ甘い「ほうとう」は野菜もいっぱいとれてあたたまるので冬場にはもってこい。最近ではスーパーなどでもほうとうが売られているのでポピュラーになった。夏にはざるうどんのようにつゆにつけて食べる「冷やしほうとう」の「おざら」という食べ方もある。
「ほうとう」の由来には諸説があって、甲斐国を代表する武将・武田信玄が兵糧食に用いたとか、放蕩から名づけられたとかいう説もあるが、実際のところは明らかではないらしい。
 山梨県は山地が多く稲作には適さない土地が大半だった。かわりに養蚕の裏作で作られた小麦を使って作られたのが「ほうとう」だ。塩を使わずに小麦粉と水を練った「ほうとう」は、大なべに直接放り込んで調理することができるし、大家族でも簡単に取り分けて食べることができるので、昔から重宝されたらしい。
 そんなわけで山梨の県民食である「ほうとう」だが、山梨には「ほうとう」が儀礼食として振る舞われる祭りがあるという。北杜市須玉町若神子の「ほうとう祭り」だ。
 祭りでは稲の害虫除けのためにドンドン火が焚かれ、ワラ人形に厄を移してお焚き上げする。1750年くらいから続いている行事で、虫送り行事が変化し禊祓行事がミックスされたものだという。
 この祭りで振る舞われるのが「小豆ほうとう」。お汁粉でほうとうを煮込んだ「小豆ほうとう」は「粉ほうとう」とも呼ばれ、この祭りのときだけ食べられる五穀豊穣を願う儀礼食だ。
 土地の人々の生活の身近にある食べ物が、まじない食になっているとしたら、やっぱり見にいかなければならない。そう思い立った私は、7月の終わりに八ヶ岳山麓にある北杜市を訪ねた。

昔ながらの村祭りで待っていた巨大なワラ人形!

 中央本線長坂駅を降りると、辺り一帯には避暑地のようなさわやかな高原の空気が漂っている。林間学校にきたような気持ちで、駅前にやってきたコミュニティーバスに乗り込んだ。目指す三輪神社は須玉町若神子地区にあり、駅からさらにバスで30分ほどかかる。
 来る前に祭りについて市役所に問い合わせたところ、「でもー、地域のちっちゃなお祭りですよ」と役場の人がけげんそうに答えてくれたが、こんなところまでわざわざ祭りを見にくる酔狂な人間もそういないということなのか。数日前の会話を思い出してしまうくらい観光地も何もないのどかな田舎町をバスがのんびりと走った。
 JA須玉支店前のバス停でバスを降りると、どこからかおはやしの音が聞こえてきた。農道には御祭礼と書かれたちょうちんが下がって、辺りを華やかな雰囲気に染めていて、一気に祭り気分が盛り上がる。

 小さい頃、自宅の裏にあった水神様の秋祭りがとても楽しみだった。普段は誰もいない小さな神社だったが、祭りの日だけ水神様が全く違う空間になった。毎日遊び場にしていた階段や境内に、祭りになるとぼんぼりが下がり、出店でにぎわう。
 日が暮れるとぼんぼりの薄紅色の光に照らされたそこは、もういつもの水神様ではなくて、幻想的な非日常の場所だった。年に1度だけ現れる美しい異界。その日を心待ちにしていた記憶を思い出して、なんともいえず懐かしくなる。
 ちょうちんに沿うように農道を進むと、田んぼ道の向こうにこんもりとした森が見えてきた。きっとあそこだ。神社を探すときは、地図を見なくても森を目印にすればいい。おはやしの音に足どりも軽く、私はうきうきと神社に近づいた。
 鳥居をくぐると境内には土地の人が30人ほど集まり、祭りの準備をしている。三輪神社は大物主命を祭神とする神社。昔は村の鎮守様だったのだろう、小さな神社だ。武田信玄から19代遡る新羅三郎義光の子である服部三郎義清が鉄面と掛鏡を奉納したと伝わっているので、1,000年以上の歴史があると考えられるという。

 鳥居の横では地元の女性たちが大鍋で何かをゆでている。ひとつの鍋には小豆が入ったおしるこが、そしてもうひとつの鍋では「ほうとう」がゆでられ、もうもうと湯気を立てている。小豆ほうとうの準備だ。そして社殿のほうを向くと、その横に、田んぼと山々を見渡すようにして何かがぬっと立っている。近づくと、巨大なワラ人形ではないか!
 2メートル近くあるだろうか、おなかに白い腹掛けをかけられたワラ人形の顔は妙に人懐っこい。そして股間に目がいく。男性器をかたどったワラがにょきっと立っている。り、立派すぎる。

 思わず目のやり場に困るのだが、目をそむけちゃいけない。というのも虫送り行事に使われるワラ人形は大抵、股間の陽物が強調されているのだが、コンセイ様信仰からもわかるように陽物は子孫繁栄の源であり、強さや力の象徴なのだ。この陽物あってこそ、ワラ人形は禊祓をする強い力をもつとも言える。
 岩手県遠野市で雨風祭りに使われるワラ人形を見たことがあるが、こちらも同じく立派な陽物を誇っていた。ちなみに遠野のものには女性と男性のワラ人形があったが、若神子のものは男性だけのようだ。
 やがて神事が始まった。参拝者は社殿にお参りすると神紙を受け取り、その神紙で体を拭い、それをワラ人形の腹掛けのなかに入れていく。「体の悪いところ、よくなりたいところをなでて、ワラ人形の同じ場所をなでて、腹掛けのなかに紙を入れてね」と神社総代が声をかけている。虫送り行事だけに、農作業で傷んだ体の厄を落とす意味もあるようだし、現代では勉学向上を願って頭をなでたり、体のよくしたい部分を拭ったりもするようだ。

 地元の中学生だろうか、男の子たちが熱心に頭をさすっている。サッカーがうまくなるかな、と足を拭う子もいる。と思えば、小さい赤ちゃん連れのお母さんが子どものお腹をなでる姿もある。赤ちゃんは不思議そうにワラ人形の顔を見上げ、両親がその頭をなでる姿もあった。大人だけでなく、子どもたちも楽しそうに参拝していた。
 さて、その巨大なワラ人形に一礼し、私は社殿に集まる土地の人にごあいさつに向かった。

貴重品の砂糖をたっぷり使ったぜいたく品「粉ぼうとう」

「東京から来たのですが、ほうとう祭りを見学させていただいてもいいでしょうか」と声をかけると、「え、わざわざ、東京から? このお祭り見に?」と驚きながら対応してくれたのが、神社総代の田中邦夫さん。「まあ、ひとつ呼ばれて」と甲州弁で小豆ほうとうを勧めてくれた。

 お汁粉にほうとうが入った甘い小豆ほうとうは、ねっとりした濃い甘さを想像していたが、予想に反してあっさりしていて、おいしい。「おいしいですね」と私が言うと田中さんは「だろ? 塩の使い方がうまいんだ」とほくほく顔でうれしそうだ。
 以前は祭りの日に各家庭で「小豆ほうとう」を作っていたが、いまでは家で作ることが少なくなったので、神社で振る舞うようになった。通常ほうとうは別ゆでせずに鍋にそのまま入れる調理法が一般的だが、小豆ほうとうの場合は別々にゆでないと固くなってしまうそうで、あとからほうとうを入れるという。
「すぐに食べてもおいしいけど、翌日に食べるとにこごりみたいになってこれがうまいんだ、ようかんみたいで」と田中さん。そういえば山梨の人は煮込みほうとうも翌日のもののほうが好きという人も多いらしい。2日目のカレーのようなもので、コクが増すのだろうか。
 ところでなぜ「ほうとう祭り」で小豆ほうとうを食べるのだろう。昔、若神子周辺では米は献上品で庶民の口に入るものではなかった。さらに砂糖は当時ごちそう中のごちそう。盆暮れ正月しか食べることができない貴重品だった。砂糖をたっぷり使った甘い小豆ほうとうはこの上ないぜいたく品だ。
「ほうとう祭り」は稲の害虫除けを祈願しておこなわれる虫送りがベースにあるため、田植えが終わった頃におこなわれる。田植えが終わったあとの疲労回復のために砂糖がたっぷり入ったごちそうを食べる意味合いもあった。これを食べて「五穀豊穣」を願うのは、害虫除けの目的と結び付いてのことだろう。さらに祭りの日にみんなで食べる直会(なおらい)の意味合いもあっただろう。

闇に燃え上がるワラ人形の炎

 厄を移したワラ人形は昔は村境まで持っていき、川に流していたらしい。しかし昨今では環境問題もあって川に流すことも難しくなったため、いまは境内のドンドン火にワラ人形を投げ入れ、燃え盛る火でお焚き上げする。ちなみにこのワラ人形は平安時代の武将・斎藤実盛に見立てて作る習わしだそうだ。
 日もすっかり暮れた頃、祭りもクライマックスを迎えた。神社総代の田中さんが4時間かけて作った力作のワラ人形が、人々の悪い部分を吸い取った神紙とともに、勢いよく燃え盛るドンドン火に投げ入れられた。ワラ人形が燃える炎は、火柱となって夜空にゴーッと立ち上った。

 ドンドン火を近くで眺めていると、自分の体まで熱気で暑くなってくる。もし体のなかに見えない虫がいたならば、この火で焼かれて逃げていってしまいそうだ。妙にさっぱりした感覚で私は祭り会場をあとにした。私の厄もドンドン火で焼かれたのかもしれない。

異界、境界とは何か?

 農業が主産業だった頃は、稲の害虫や出来不出来は生活を左右する大問題だったため、虫送り行事も各地でおこなわれていた。農業に従事する人が減ったいまは虫送りをやる地域も少なくなったが、それでも祭りや観光行事として各地で見られるものもある。
 虫送りでは、稲の害虫や病気といった災厄を何かに移し、行列を作って村境まで持っていき村の外に捨てるというのが基本形だが、厄を移す対象もいろいろある。さきほどの遠野の雨風祭はワラ人形だが、青森の五所川原では「虫」と呼ばれる龍蛇状のワラ人形を運ぶし、秩父立沢の虫送りでは凡天を使う。とすると、ここで気になってくるのが虫を追い出す「向こう側」とは何か、そしてこちら側の間にある「境界」とは何かということだ。 私が学生時代に読んだ日本古典文学のなかで最も忘れられないのが、『今昔物語集』巻第27「本朝付霊鬼」の章だ。この章はいわゆる「鬼」をテーマとしたもので「鬼の仕業」と思われる怪異譚がつづられている。この章を読んでいると昔の人が何を恐れたのかがおぼろげながら見えてくるように思う。
 辺鄙なところにある橋、山のなか、夜の闇、天井裏。車も電気の光も科学の発達もなかった時代の人にとって、よくわからないものは恐怖の対象であった。たとえば第18話の「天井から板が飛んできて宿直の兵をはさみ殺してしまった、鬼の仕業なるべし」という内容などは顕著だ。こちらからは見えない、何がいるかわからない天井裏は、昔の人にとってすでに鬼の領域だったにちがいない。
 境界も同じようなものだろう。ムラという連続したコミュニティーの外は、社会的つながりの外であり、精神的に安心できる空間の外でもある。何があるかわからない不安と畏れの対象だ。現代のように地図が視覚化されていたわけでもない時代、ムラの外は異界だった。
 ムラのなかが安心、外が異界で恐怖の対象だったとすれば、虫送りのメカニズムも理解できるように思う。稲につく悪い虫も、体のなかの病気災厄も、異界に追放してしまえばいい。そうすることで自分たちのそばからは災厄がなくなり、安心できる場所を確保できるのだ。
 厄を異界に追放したうえで、貴重品の小豆ほうとうを食べ疲労回復をはかり、五穀豊穣を願う。「ほうとう祭り」には様々な機能と願望が内包されている。人々の願いをてんこもりに盛り込んだ人間らしい村祭りなのだ。
「こういう昔ながらの村祭りもいまはなくなってきているからね」と田中さんは語っていたが、それを体感できる貴重な「ほうとう祭り」がこれからも受け継がれていってほしい。

 

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