第1回 中居正広と本

太田省一(社会学者。著書に『紅白歌合戦と日本人』〔筑摩書房〕、『社会は笑う・増補版』〔青弓社〕など)

はじめに

 今回から始まるこの連載では、ひとりの人物を追いかけていく。その名は中居正広。言わずと知れたアイドルグループSMAPのリーダーであり、個人としてもドラマ、映画、CM、そして番組MCと多方面に活躍する当代随一の売れっ子のひとりである。テレビのレギュラー番組だけでも7本(2014年5月現在。準レギュラー、SMAPとしてのものも含む。ただし『ベビスマ』〔フジテレビ系、2007年―〕は含めていない)、他に不定期に放送される冠番組やオリンピックなどビッグイベント時のMCなどもあるから、その多忙ぶりがわかろうというものだ。
 1972年8月18日生まれというから今年42歳。SMAP結成が88年でCDデビューが91年だから、SMAPとしての活動だけで25年以上が過ぎたことになる。この月日のなかで、中居正広というひとりの人間にもさまざまな出来事があったに違いない。芸能人という人気商売であれば、なおさらのことである。また、これだけ知られた存在であれば、ファンである人にもそうでない人にも、彼にまつわる印象的な場面が何らかの形であるのではないだろうか。ありきたりな言い方だが、それぞれの人にとっての私の中居正広像があるに違いない。
 SMAPという存在については、これまでも多くの人たちが言葉を費やして語っている(私もまた、アイドルや『紅白歌合戦』〔NHK、1951年―〕というテーマのなかでそうしてきた)。だが中居正広という人物だけに光を当てたものは、これまであまりなかったのではないかと思う。もちろん中居正広とSMAPを切り離すことは不可能だし、中居正広が他のメンバーに比べて特別だと考えているわけではない。SMAPの偉大さのひとつは、誰が上で誰が下とかまったくないところにあるのだから(たとえば、最初に中居正広をSMAPの“リーダー”と紹介したが、それは実質的にということであり、公式にはSMAPにリーダーは決まっていない)。
 でも私はなぜか、中居正広という存在が気になってきた。それは、これだけ目にし、耳にする機会が多い存在でありながら、見れば見るほど、聞けば聞くほど正体がつかめなくなるような不思議な感覚に襲われるからだ。もちろんそのつかみどころのなさは、中居正広という人の大いなる魅力の源泉でもある。だが、できることなら私なりのやり方でその謎を解き明かしたい。今回から始まる連載は、そのための探求の旅でもある。
 では、まず私にとってのある印象的な場面から中居正広をめぐるこの物語を始めることにしよう。

北京の控え室で

 2011年9月16日は、SMAPの北京公演がおこなわれた日である。それは、たび重なる延期の末に実現した公演だった。前年6月上海万博で予定されていたファンイベントが会場の安全の問題で、さらに同年10月に開催の予定だった上海でのコンサートが日中関係の悪化によって、それぞれ延期されていたのである。
 このときの公演の裏側が、SMAPに密着したドキュメンタリー番組で放送されたことがある。NHK『プロフェッショナル――仕事の流儀』である。11年10月10日にまず地上波の総合テレビで放送され、さらにその年の12月24日にBSプレミアムで地上波未公開分を含めた3時間の完全版が放送された。私の印象的な場面というのは、その完全版のなかのワンシーンである。
 ごらんになっていない方もいると思うので、前後の流れをまず紹介しよう。北京公演のためにSMAPが空路中国に到着したのが2011年9月14日。さっそく本番会場に移動してリハーサル。そして翌15日は朝から取材や歓迎行事に追われた。それを終えてSMAPが再度会場入りしたのが夜10時過ぎ。その日は衣装に着替えての本番さながらのリハーサル、いわゆるゲネプロの予定が組まれていた。
 ところが、あいにくの豪雨でリハーサルを始めるに始められず、メンバー5人は衣装姿のまま控え室で待つことになった。
 メンバーは、それぞれ思いのままに過ごしている。木村拓哉と稲垣吾郎が会話を交わし、さらに木村が早く衣装に着替えるよう冗談交じりに香取慎吾を急かす。そのうち草彅剛を交え4人で「オレンジ」のときの立ち位置の確認が始まる。「いちばん上(かみ)は誰?」「いちばん上手は中居くん」。だがそこに肝心の中居正広はいない。彼は少し離れたところにあるソファーで、衣装姿のままひとり本を読んでいる。タイトルは『青の炎』(〔角川文庫〕、角川書店、2002年)、著者は貴志祐介であることが、本の表紙を大写しにした画面から読み取れる。
 そのときテレビを見ていた私は、本を読んでいる彼の姿にとても引き付けられた。そのときは、なぜそういう気持ちになったのかはわからなかった。この場面は地上波で放送された短縮バージョンでは確かカットされていたから、編集をしたNHKのスタッフにもそれほど重要な場面とは思われなかったのだろう。でも私の心にはその場面が深く刻み込まれたのである。
 もちろん、いま考えると印象に残った理由もわからないわけではない。それはそのときの中居正広が静謐と表現したくなるくらい静けさを感じさせたからだ。番組中のその映像の直後のインタビューでも、リハーサルの延期という不測の事態にまったく動じる様子もなく「動揺? 動揺とか全然ない」と答える姿は、延期に対して嘆声を上げたり残念がったりする他のメンバーの姿とも好対照に見えた。そこには、普段テレビのバラエティー番組で見せるおちゃめで明るい「中居くん」とは正反対の中居正広がいる。普段の印象とのギャップ。そこに私はきっと目を奪われたのだろう。
 中居正広は複雑な人だ。なるほど人間誰ひとりとして単純な存在ではない。だが複雑であることが、芸能の世界で魅力となって輝き、支持される人となるとまれだろう。光と影、陰と陽、静と動のギャップ、そしてその2つの面が互いに反射するように織りなされる多彩な表情が、ときには謎めいた印象となり、それが多くの人を魅惑する。

読書家・中居正広

 しかし長年の中居正広ファンなら、この控え室の場面を「意外」というよりは「当然」という思いで見たかもしれない。「中居正広が読書家である」というのは、そうしたファンの間ではよく知られた事実だからである。
「AERA」(2013年9月16日号、朝日新聞出版)の最近のインタビューでも「本は読みますねぇ」と本人自ら語っている。「昨日、久々にゆっくりできる時間があったので、ノートを買いに行くついでに本屋さんに寄ったんですが、3時間ほどずーっといて、山のように本を買いました。ベスト何位とか書かれていると気になって、おもしろそうなものは全部買いたくなっちゃう。ジャンルは小説が多いですね」
 ここでは小説をよく読むと語っているが、読書の範囲も広いようだ。自分のラジオ番組『Some girl’SMAP』(ニッポン放送系、1995年―)や雑誌のインタビューなどでおすすめの本や最近読んでいる本の話になることもあるが、そこでは『生きながら火に焼かれて』(スアド、松本百合子訳、ソニー・マガジンズ、2004年)などノンフィクション本にふれたこともある。
 小説では特にミステリー好きである。過去のインタビューでは歌野晶午や松本清張を好きな作家として挙げていたりする。東野圭吾を読んでいるとも語っていた。北京の控え室で読んでいた『青の炎』もミステリーである。
『青の炎』は、監督を蜷川幸雄、主演を嵐の二宮和也で映画化されている。公開されたのが2003年だから、2011年よりはかなり以前のことである。だから映画化されたことと控え室で原作を読んでいたことに関連があるのかどうかはわからない。
 そういえば、中居正広の初主演映画『模倣犯』(監督:森田芳光、2002年)も宮部みゆきの同名ミステリー小説が原作だった。実は、この映画のオファーがあったとき、ちょうど小説のほうを読んでいるところだったらしい。「オファーが来たとき、たまたま原作を読んでいる途中だったんです。森田監督に最後まで全部読んでおいたほうがいいんでしょうかと尋ねたら、読んでおいたほうがいいと言われた」(『中居正広in「模倣犯」――ピースの世界』角川書店、2002年)。
 中居正広のような芸能人が小説を読むことと一般人が小説を読むことのいちばんの違いは、そのなかの登場人物を自分が演じることがあるかどうか、ということかもしれない。実際、中居正広は、原作のあるドラマで主人公役を演じてきた。好きな作家として名前を挙げていた松本清張の同名小説が原作の『砂の器』(TBS系、2004年)でのピアニスト・和賀英良役があった。またいまでもファンの間での人気が高い医師・直江庸介役を演じた『白い影』(TBS系、2001年)は、渡辺淳一の小説『無影燈』(毎日新聞社、1972年)が原作だった。
 他の出演作も含めて中居正広と演技の関係についてはまた回を改めたいと思うが、いずれにしても中居正広が本を読むときには演者の視点もおのずと入っているだろう。ときには、本を読んでいるときにこの役を演じてみたいと思うこともあるはずだ。

ノートの意味

 また愛読書の一冊に『野村ノート』(野村克也、小学館、2005年)を挙げることもある。中居正広は少年時代から大の野球好きで、いまでもWBC侍ジャパンの公認サポーターを務めたり、野球をテーマにした番組『たまッチ!』(フジテレビ系、2007年―)に出演したりと野球がらみの仕事も多い。現読売ジャイアンツ監督の原辰徳がずっと憧れの存在であることもたびたび本人の口から語られている。『中井正広の大ブラックバラエティ』(日本テレビ系、2006年4月2日放送)での企画「原辰徳クイズ」でも、原辰徳になら「抱かれてもいい」という問題発言(?)で思いのたけを打ち明けながら、かなりの難問にもかかわらず当然のごとく全問正解していた。
 ただそうした好きな選手にまつわる本ではなく、野球関連本では『野村ノート』であるというところがまた興味深い。『野村ノート』は、捕手、監督としてプロ野球の世界に長年身を置いてきた野村克也が、並み居る強打者たちを打ち取り、チームを勝利に導くためにどのように投手をリードし、またチーム作りをおこなったか、その分析の仕方と戦略の立て方について貴重なノウハウを開陳した本である。
 かつて『情熱大陸』(TBS系、2008年11月30日放送)では、野球というチームスポーツを自分たちグループの活動に重ね合わせ、『野村ノート』を参考にしていると中居正広は語っていた。その意味では、有力選手を他のチームから集める巨人の戦い方は、応援している球団だが役に立たない、とも。
 アイドルグループがそう簡単にメンバーを補充したり入れ替えたりすることはできない。だから現有のメンバーをもとに戦略を組み立てなければならない。本来ならアイドルグループは歌とダンスに専念していればいい。だがSMAPはそうはいかなかった。折悪く歌番組衰退の時期にデビューした彼らは、アイドルとして生き残るためにバラエティー番組に活路を求めなければならなかった。そのような体験が、中居正広を『野村ノート』に傾倒させたのだろう。
 ここからもわかるように、中居正広には、とても冷静で緻密な一面がある。それは、アイドルでありながら歌やダンスだけでなくMCや演技の仕事もこなしていかなければならなかった境遇のなかで身につけた姿勢でもある。「感情を安定させていたい」。そうすることによって、「いつでも相手の言葉を引き出したり、人の気持ちを受け入れたりできる」と考えている(前掲「AERA」2013年9月16日号)。
 そんな中居正広の支えになっているのが、ずっとつけている手書きのノートである。「分厚いノートに書いていますが、1年に3冊ぐらい更新します」というこのノートには、彼の心に留まったあらゆることがメモされている。「気になる言葉や文章だけではなくて、いいなと思った音や初めて聞く曲も」メモの対象である。もともと先ほどもふれた初主演の映画『模倣犯』のインタビューで受け答えに苦労した経験から始めたものが、いまはあらゆる仕事のための準備としてメモを取るようになった(同誌)。
 この野村ノートならぬ「中居ノート」の存在は、中居正広にとって考えることと深くつながっている。「書くことは記録というより、書く意識を持つこと、書く習慣をつけることによって、こんなものの考え方があるのかを知ることになって」いる。つまり、忘れないためではなく、新しい未知のことに気づくためにノートの存在は大切だと中居正広は語る。だから「時々ノートを読み返して、自分の考えがすごく偏っているなぁと思えるとき」には、ノートを「思いきって捨ててしまう」こともある(同誌)。
 中居正広にとってメモで埋めつくされたノートは、「ひとり」になり自分自身と向き合うために大切なものである。しかしそれは決して自分の殻に閉じこもるためではない。逆である。むしろ周囲の世界に常にオープンであるためなのである。

ひとりの時間

 まだ20代になりたてのころの中居正広も、やはり「ひとりの時間」へのこだわりを語ったことがあった。「ボク、基本的にひとりって好きなんだよ。休みの日とかも特に友達と遊んだりしない。ひとりで買いものに行ったり、ひとりでブラッと出かける。何でだろうね? たぶん、“ひとり”って空間が好きなんだろうね」(『SMAP YEAR BOOK 1993―1994 reminiscence』〔ワニムックシリーズ〕、ワニブックス、1994年)
 たとえば、当てもなく電車に乗って知らない街で降りる。そして時計もはずしてのんびり歩き、パチンコ屋に入ってみる。自分のことを誰か知らない人ばかりなので、隣の台のおばちゃんと他愛ない会話を交わすこともできる。それは、「SMAPの中居でも芸能人の中居でもない、ただの中居正広でいられる時。それがひとりの時間なんだろうね」(同書)
 本来読書もそのような「ひとりの時間」をつくるための方法のひとつなのだろう。あの北京の控え室でも確かに中居正広は「ひとり」だった。他のメンバーや多くのスタッフが言葉を交わし合い、動き回るような慌しい場所で自分だけ違う世界に入り込んでいた。知らない街のなかをひとり歩くように。
 しかし、20代前半のころと比べれば、SMAP、そして中居正広の置かれた立場は大きく変わった。いまや「ひとりの時間」は、「ただの中居正広でいられる」安らぎのときというよりは、ときどき手書きのノートを読み返して反省すると本人が語るように、芸能人中居正広として仕事に臨む際の原点を確認するためのときになった。それがこの20年ほどの間に中居正広に起こった変化であり、彼が引き受けることを覚悟した責任の重さというものかもしれない。
 それは、「エンターテインメント」を生業にする覚悟の重さとでも言えばいいのだろうか。「人を楽しませたい」と、機会あるごとに中居正広は言い続けている。それはまさに「エンターテインメント」を目指すということである。
 そのひとつの究極の形が、アメリカのブロードウェイやラスベガスで上演されるミュージカルやショーにあることは確かだろう。戦後の日本でも、それは大衆芸能の理想とされてきた。ジャニー喜多川もまたその理想を持ち続けるひとりである。彼が映画『ウエスト・サイド物語』(監督:ロバート・ワイズ、1961年)をともに感激しながら見た4人の少年をメンバーにグループ「ジャニーズ」を結成し、そこからジャニーズの歴史が始まったことは知る人ぞ知る話だろう。中居正広、そしてSMAPもその理想が生んだ子どもたちである。
 ただ「エンターテインメント」の形もひとつではない。その社会、その時代に合った形というのもあるはずだ。ではいまの日本でどうすればより多くの人に楽しんでもらえるのか、それを中居正広という人は、「ひとりの時間」にずっと考え、実行に移してきたのではないだろうか。衣装姿で本を読みながらじっと待つ中居正広の控え室の姿は、単なる静と動のギャップの魅力だけではない、そんな彼の一面にも思いを馳せさせる。

個人史、時代史、そしてアイドル史

 だがあの場面、読んでいる本が何でもよかったわけではない。あの場面が私にとって深い印象を残すものだったのは、読んでいた本がほかならぬ『青の炎』だったからということもある。
 お読みになった方はわかるだろうが、『青の炎』はミステリーではあるが、単なる謎解きものではない。主人公は高校生の少年であり、家族や友人、恋人に対する純粋な、ときには屈折した彼の思いが丹念に描かれているという意味で、『青の炎』は何よりも優れた青春小説なのである。
 主人公の少年もまた「ひとり」だ。緻密な計画を立て、強い意志ですべてを自分だけでやり遂げようとする。ただそうするのは利己的な目的からではなく、自分の愛する人たちを守りたいという一心からである。タイトルの『青の炎』は、そんな主人公が抱えている冷静であると同時に熱い思いを象徴するものだ。そこにやはり、どうしても中居正広の姿を重ねたくなる。しかも小説の舞台は神奈川県藤沢市、そう中居正広の出身地であり、中居正広が少年時代を過ごした街で物語は繰り広げられるのである。
 そして、場所が北京だったということにも思いがいく。SMAPの公演は、日中国交正常化40年を翌年に控えたタイミングで実現した。その前に延期された経緯から見て最初からそのことが意識されていたわけではないだろう。だから余計にそこには偶然が演出した不思議なめぐり合わせを感じざるをえない。日中国交正常化が成ったのは1972年、すなわち中居正広が生まれた年だからだ。
 1972年は、日中国交正常化を進めた田中角栄が首相になった年でもある。田中は高等小学校卒業という学歴から首相の座にまで上り詰めたことから「今太閤」と呼ばれ、就任当時国民から圧倒的な支持を得た。そしてその勢いにも乗って、自らの政策である「日本列島改造論」を強力に推進していく。高速道路や新幹線で全国をつなぐ交通網の整備、地方の工業化、全国的情報通信網の整備など、のちの評価は別として大きく日本が変わっていく転機の年だった。
 また田中角栄は、首相になる以前の郵政大臣時代、放送事業免許の大量認可をおこなったことでも有名である。それをきっかけに各地域にテレビ局が続々誕生し、現在のようなテレビの全国的ネットワークが整備されていった。
 そしてそれは、日本の芸能界とも無関係ではなかった。
 1971年、日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』の放送が開始された。各地の系列局を通じて全国の視聴者は、素人だった受験者がプロの歌手としてデビューしていくプロセスを見ることができた。番組名には「スター」とあるが、それによって視聴者は「スター」のような遠い存在ではなく身近な存在として歌手を感じることができた。その結果、ここから続々と誕生した10代の歌手に対して、いま使われるような意味合いで「アイドル」という呼び方が定着していった。テレビからアイドルが生まれる時代が始まったのである。
 その先陣を切って初代グランドチャンピオン森昌子が「せんせい」でデビューしたのが1972年7月。そのとき森はまだ13歳の若さだった。それに続いて桜田淳子、山口百恵も同じ『スター誕生!』からデビューし、同学年だった3人はやがて「花の中3トリオ」として人気を集めていく。
 そして中居正広が誕生した同年8月、郷ひろみが「男の子女の子」でデビューする。郷は前年ジャニー喜多川にスカウトされ、当時若者に人気があったフォーリーブスの弟分としてすでにファンの間では知られた存在になっていた。「男の子女の子」は、そんな郷の満を持したデビュー曲だった。郷は瞬く間にトップアイドルとなり、野口五郎、西城秀樹とともに「新御三家」と呼ばれる存在になっていく。
 北京の控え室で中居正広が『青の炎』を読んでいた場面。それは、藤沢で生まれ育った中居正広の個人史、1972年以後日本人が経験してきた時代の変化、そしてジャニーズをはじめとしたアイドルの歴史が交わった稀有な瞬間だったのではないだろうか。突き詰めれば、あの場面が私の目を捉えて離さなかった本当の理由はそこにあったのかもしれない。
 ここから次回以降、さらにいろいろな角度から中居正広という存在に迫ってみたい。

 

[編集部から]
本連載は加筆・修正のうえ、2015年7月に『中居正広という生き方』として書籍化し刊行しました。書店でご注文いただけますので、ご興味がある方はぜひともご一読ください。

http://www.seikyusha.co.jp/wp/books/isbn978-4-7872-7379-6

 

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