はじめに 連載を始めるにあたって

塚田修一(東京都市大学、大妻女子大学非常勤講師。共著に『アイドル論の教科書』〔青弓社〕ほか)

 どういう町なのか?何にゾッとしたのか?ってことを考えてみたんですが、16号線のあの場所には物語の発生する余地がないのかもしれないと思ったんですよ。(富田克也)(1)

 国道の研究を始めた。
 本リレーエッセーの執筆者である私たち——執筆順に、塚田修一、西田善行、後藤美緒、松下優一、丸山友美、鈴木智之、近森高明、佐幸信介、加藤宏——は、いま、『国道16号線スタディーズ』という書籍企画を準備している。
 それにしても、いぶかしがられるかもしれない。私たちは、交通や道路の専門家ではないからだ(私たちが専門にしているのは社会学である)。
 もう少し正確に言い直そう。私たちは国道16号線(以下、16号と略記)をめぐる〈社会〉の研究を始めた、と。
 この「16号」とは、神奈川県横須賀市から千葉県富津市を結ぶ、総延長約341キロの環状国道である。いわゆる「郊外」の都市を結びながら、首都圏をぐるりと囲むこの国道は、「東京環状」とも呼ばれている。

国道16号線

16号線、富津の始点=終点(2016年3月7日撮影)

「16号線的なるもの」

「国道16号線的郊外」という言い方がある。それは「ファミレスやジャスコなどの大型ショッピングセンター、ファストフードなどのロードサイドショップが軒を連ねている均質空間としての郊外(2)」を指す。
 事実、16号沿いにはまさにそのような光景が広がっている。大規模ショッピングモール、TSUTAYA、ブックオフ、ファミレス、紳士服のチェーン店……。それは、三浦展が「ファスト風土(3)」と呼んだ風景であり、また近森高明がレム・コールハースにならって「無印都市(4)」と呼んだものでもある。
 そこには、映画監督の富田克也に「物語の発生する余地がない」場所と語られるような空漠感が広がり、森山大道の写真集『ROUTE16』(アイセンシア、2004年)に切り取られているような、無機質な光景がある。
 このような、16号沿いに醸成されている光景および「空気感」のことを、「16号線的なるもの」と呼んでみることにしよう。
 この「16号線的なるもの」への社会学的関心と欲求が、私たちの研究の出発点である。
 だがしかし、この「物語の発生する余地がない」とまでいわれるこの「16号線的なるもの」を、私たちはどのようにして把握し、記述できるのだろうか。

2つのテレビ番組から

 ここで2つのテレビ番組を参照したい(これらの番組は、丸山友美によって詳細に検討されることになる)。
 1つは、NHK『ドキュメント72時間』の「オン・ザ・ロード 国道16号線の“幸福”論」(2014年6月13日放送)である。
 この番組では、72時間かけて16号を横須賀・走水から千葉・富津までたどり、道中、出会った人々にインタビューをおこなっている。「ホームレスの真似事」といって河原で生活をする男性や、一見不良っぽい17歳のカップル……。彼(女)らの話はどれも興味深い。だが、ここで注目しておきたいのは、この番組で映し出される風景や人物に対して、ある種の既視感(「ああ、これこれ!!」といった)を覚えてしまうことである。この既視感の要因は、この番組が、私たちの「16号線的なるもの」のイメージをなぞっていることにあるだろう。
 このような、「(車で)走って」なぞり、確認される「16号線的なるもの」に対置されるもう1つのテレビ番組が、テレビ神奈川『キンシオ』の「キンシオ特別編 16号を行く」(2012年)である。これも、イラストレーターのキン・シオタニが、5日間かけて16号を車で走破するのだが、この番組が『ドキュメント72時間』と大きく異なるのは、キンシオが「歩いて」いることである。すなわち彼は、道中、あちこちで寄り道をして喫茶店に立ち寄ったり、顔なじみの店を訪れたり(だがその店が定休日であったりする)と、16号沿いの街々で、偶発性と軽妙に戯れてみせるのである。それは、「16号線的なるもの」を直接的に描出しているとは言いがたいが、行く先々で16号沿いの街の新たな表情を引き出すことに成功している。

「走ること」と「歩くこと」

「16号線的なるもの」の把握と記述のために私たちが選んだのは、前述の「走ること」と「歩くこと」の両方である。
 実際に、私たちは1泊2日で16号を車で「走って」、「16号線的なるもの」をなぞって、把握している。
 同時に、それぞれが、自動車による移動が前提とされている16号沿いの街を、文字どおり、あるいは比喩的な意味で「歩いて」もいる。すなわち、ある者はインタビュー調査を、また丹念なフィールド調査を、ある者は文学テクストを、またある者はテレビドラマを、そして映画を通して、16号沿いのそれぞれの街に内在的に分け入り、その記述を試みている。
「走り」ながらも、「歩く」こと。あるいは「歩き」ながら「走る」こと。こうした私たちの試みをつなぎ合わせると、物語なき16号の〈物語〉が浮かび上がってくるはずである。
 本リレーエッセーでは、そんな私たちの思考/試行(あるいは嗜好)の断片をつづっていく予定である。


(1)「splash!!」vol.4、双葉社、2012年、148ページ
(2)東浩紀/北田暁大『東京から考える——格差・郊外・ナショナリズム』(NHKブックス)、日本放送出版協会、2007年、95ページ
(3)三浦展『ファスト風土化する日本——郊外化とその病理』(新書y)、洋泉社、2004年
(4)近森高明/工藤保則編『無印都市の社会学——どこにでもある日常空間をフィールドワークする』法律文化社、2013年

 

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