第3回 事例2 作り手とファンの交差する視線の先――2.5次元舞台へ/からの欲望

須川亜紀子(横浜国立大学教員。専攻は文化研究。著書に『少女と魔法』〔NTT出版〕など)

双方向性メディアの発達と「2.5次元」舞台

 1950年代の地上波テレビの登場、60年代のカラーテレビの普及、80年代の家庭用ビデオデッキの登場・普及、90年代のパソコン通信による双方向性コミュニケーションメディアの登場から2000年代のインターネットの急速な普及、ソーシャルメディアの発展、と目まぐるしく変化するメディア環境は、私たちの現実認識やコミュニケーション形態に大いなる影響を与えてきた。そして10年代の現在、私たちはスマートフォンなどを通じてモバイルサイバー空間に常時接続状態でいることが可能だ。バーチャルリアリティー技術も向上し、一昔前までは荒く、区別が明確だったCG画面と実写映像の混合も、いまはわからないくらいに「リアル」で、私たちは知らないうちに加工された映像にだまされている。こうしたメディア環境の著しい変化によって、私的領域と公共領域は混合し、いまではそれを自明なものとして私たちは生活している。
 漫画、アニメ、ゲームなど、視覚情報をともなった一次創作物を原作にした舞台という限定的な意味での2.5次元(以下、2.5Dと略記)舞台には、スター重視という側面は否めないものの、独自の様式で視覚的再現性を内包していた宝塚歌劇団の『ベルサイユのばら』(1974年)や、SMAP主演の『聖闘士星矢』(1991年)があった。視覚的再現性に聴覚的再現性が加わった舞台では、アニメ版の主役(両津勘吉)を演じたラサール石井が同じ役で演じたミュージカル『こちら亀有前派出所』(1999―2006年)シリーズ(1)や、アニメ声優たちが担当キャラクターを演じたミュージカル『ハンター×ハンター』(2000―04年)シリーズ(2)など、前ミュージカル『テニスの王子様』(以下、『テニミュ』と略記)期の2.5Dミュージカルは少なくなかった。しかし、2000年代後半からの2.5D舞台の爆発的人気には、上述したメディアの発達が大きく寄与している。

参加型文化とニューメディア

 第1回でも言及したが、こうしたメディアの発達とファンのコミュニケーション形態を研究したヘンリー・ジェンキンスは、1994年の著書で、1960年代からのテレビというメディアの普及にともない見られるようになった、ファン同士が二次創作を通じて横のつながりを形成(ネットワーク化)する様子を、「参加型文化」と呼んだ。しかし現在では、デジタル技術、インターネット、ソーシャルメディアの発達によって、その概念はより拡大した意味を内包し、ファンたちの積極的な参加によって成立する文化としての意味合いが強い。2.5D舞台のまわりでよく見られる光景といえば、鑑賞する側が関連情報をいち早く収集し(たとえば、新作舞台の情報やキャストのつぶやきなど)、SNSなどで不特定多数のファンに拡散し、舞台上のキャスト(役者)の体にキャラクターを幻視した体験を、舞台の休憩中に情報発信し、また多様な読み込みによってファン同士をネットワーク化しているということだ。こうした参加型文化では、参加者(傍観者であるオーディエンスでなく、積極的に参加するプレイヤー)のはたらきかけが舞台パフォーマンスの一部なのである。
 そうしたファンたちと制作者たちの向かう先はどこなのか。交差する視線のなかで、どのような欲望が観察されるのか。今回は、『テニミュ』の熱心な若い女性ファンたちの声と、2.5D舞台に新たな旋風を巻き起こしているハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!!』の新進気鋭の演出家ウォーリー木下氏のインタビューを紹介し、ファンと制作者の交差する視点について考えてみたい。

ファン座談会から

『テニミュ』の公演では、終劇後、出口でお土産が配られる。シールだったり、生写真だったりと毎回趣向がこらされたお土産は、ファンの楽しみの一つである。リピーター(特に、すべての公演に皆勤することを「全通」という)は、当然同じものを引き当てる確率が高く、公演後の東京ドームシティ出口付近での物品トレードは風物詩になっている(3)。
 筆者は、トレードで知り合ったファンや、スノーボール式に知り合ったファンたちを集め、2016年3月に座談会をおこなった。参加者は5人。日本人4人(あやかさん、えみさん、さやかさん、みふさん)は当時20代前半、北アメリカ出身の外国人(ジルさん)は20代後半だった。特にジルさんは、自国で『テニミュ』のDVDを友人から借りて惚れ込み、ついには『テニミュ』を毎回観たいがために来日を決め、日本で仕事をしているというツワモノである。

座談会の様子

きっかけは「ニコ動」

 まず、5人に『テニミュ』はじめ2.5D舞台/ミュージカルにハマったきっかけを聞いた。すると口をそろえたように、日本人参加者は「ニコニコ動画」(以下、「ニコ動」と略記)と答えた。ジルさんだけはDVD鑑賞がきっかけだったが、『テニミュ』開始当時の2000年代前半にまだ中学生だった参加者にとって、「ニコ動」は身近な情報収集ツールだった。特に初期の『テニミュ』に対しては、「空耳」と呼ばれる「~のように聞こえる」架空のセリフの字幕をつけて楽しむファンの二次創作が盛んだった。滑舌の悪さやオーバーリアクションの面白さから、こうした“ファンが参加する余地”が生まれ、それにほかのユーザーがコメントをつけることで、ますますファン層が広がり、最終的に“本物”を観に劇場に行って、ハマってしまうのだという。えみさんは、「劇団四季(のミュージカル)をよく観にいっていたが、空耳がはやっていて面白かったので、“お笑い”を見にいく感覚で行ってみたら面白くてハマった」と告白している。当然、DVDを勝手にアップするのは違法だが、こうしたストリーミングサイト上の二次創作のシェアが、原作『テニスの王子様』(許斐剛、「週刊少年ジャンプ」1999―2008年、集英社)やアニメのファン以外や、公演に足を運べない人など、『テニミュ』の裾野を広げるのに担った役割は大きい。実際、原作ファンで地方在住の高校生だったみふさんは、公演をなかなか観にいけず、ひたすら「ニコ動」で情報を追いかけていたという。

多メディア展開による複合的快楽

 キャラクターのファンだったり、キャスト(=役者)自体のファンだったりと、5人の快楽のツボはさまざまである。それを可能にしているのが、多メディアによる配信と舞台裏映像である。本公演以外に、バックステージと呼ばれる、舞台裏の様子を収めたDVD特典などで、キャラクターを演じるキャストの素顔を垣間見ることができる。ファンは、キャラクターを彼らに幻視し、AくんとBくんは、物語上は他校だけど、楽屋では仲がいい――つまり、物語と現実のギャップを楽しむことや、「バックステージを見て、Cくんがいじめられているのがカワイイと思った」(さやかさん)など、キャストの若い男性たちがワイワイやっている姿を、外から眺めて楽しむこともできる。ライブビューイングと呼ばれる、公演の生中継を映画館などで映像として観る形式もある。ライブビューイングの楽しみの一つは、自宅でテレビをみんなで観ているような気軽さだという。「飲食をしながら、ツッコミをいれながら、みんなで楽しめる気軽さがいい」(ジルさん)というような、本公演では本番中声を発したり、飲食することができないが、ライブビューイングではそれが可能になり、しかもほかの観客=ファンと一緒に、サイリウムを振って応援する一体感がうれしいという。実際あやかさんは、キングブレードと呼ばれるサイリウムを座談会に持参、応援の様子を再現してくれた。ファンにとって、キャラクターのシンボルカラーを覚え、キャラクターの登場に合わせて色を変えることは、キャラクター/キャストとの一体感も味わえる瞬間なのだ。

同担拒否がない比較的平和なコミュニティー(?)

「同担拒否がないので、1人で劇場に行っても、キャラの人形やグッズを持っている人を見ると話しかけられるし、仲良くなれる」(みふさん)。
 同担拒否とは、同じ推しメンを好きな人同士は仲が悪い(一緒にいるのをいやがる)ということを指す。“同じ担当の人を拒否する”という意味で、同担拒否なわけだ。同担拒否は、たとえばジャニーズファンの間ではすでに自明になっているようだが、2.5D舞台/ミュージカルではキャラクターという偶像が介在していることが幸いして同担拒否が起こりにくい環境になっているのかもしれない。みふさんの言葉からは、同じ嗜好をもった者同士が集まる場所という安心感が読み取れる(ただし、同担拒否がまったくないわけではない。成熟したコミュニティーでは、排除も起こりやすい。この問題は改めて議論していきたい)。

ファンの視線の先に

 紙数の関係からすべてを紹介できないが、再現性の高さに対する賞賛やチーム男子へのまなざしを共有し、多メディアで展開されるコンテンツとして、『テニミュ』や2.5D舞台/ミュージカルを楽しむファンたちの姿が垣間見えることは確かだろう。『テニミュ』はとりわけ10年以上の歴史から、バックステージ、ライブビューイング、『ドリームライブ』(本公演以外に展開されるコンサートショーのようなもの)、運動会など多くの実績があるが、昨今の2.5D舞台/ミュージカルでは、本公演以外にライブビューイングや、DVD・BD(ブルーレイディスク)にバックステージやメーキング(稽古の様子)映像を含めるものが多くなっている。
 最初は再現性やチーム男子へのまなざしを重視するファンだが、目が肥えてくるとキャストの熱がこもった演技、舞台装置、物語の演出方法など、キャラクター以外の細部に目がいくようになる。さらに、「推しキャストができたことで、その人が出演するほかの演劇も観にいくようになり、趣味が広がった」(さやかさん)という意見もあり、演劇自体への興味にもつながっている。
 いままで、オリジナルの演劇に対してどこか劣位に置かれていた2.5D舞台/ミュージカルだが、ファンの2.5Dからいわゆる普通の演劇への流れとほぼ同時に、小劇場出身の演出家が2.5D舞台に参加することで、興味深い化学変化と交流が起こっている。

ハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!!』“頂の景色”

 第2回で、2.5Dミュージカルに関して藤原麻優子(4)の議論を紹介し、「未完成の美」という要素に言及したが、第1回でも述べたとおり、2.5D舞台は多様化していて、「ジャンル」として規定することがますます困難になってきている。実際筆者は、『テニミュ』系ミュージカルでの①再現性、②チーム男子、③連載上演、に限りなく近いと思い観劇しにいき、いい意味で期待を見事に裏切られた2.5D舞台を体験した。2015年秋に初演し、その人気ゆえに早くも2016年春に再演したハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!!』“頂の景色”(以下、演劇『ハイキュー!!』と略記)である。
 原作『ハイキュー!!』(〔ジャンプコミックス〕、集英社、2012年―)は、「小さな巨人」に憧れて宮城県立烏野高校バレーボール部に入部した主人公・日向翔陽を中心にした高校バレーボール選手たちの青春を描く、古舘春一の漫画である。テレビアニメ化(2014年―)、ゲーム化(2014、16年)など、広くメディアミックス展開もされている人気作品で、2015年に待望の舞台化となったわけである。演劇『ハイキュー!!』は、日向の中学生時代の体験と影山飛雄との出会いから、高校のバレー部入部を経て、強豪・青葉城西高校との試合などを描いている。
 演出は、エジンバラ演劇祭で5つ星を獲得するなど国内外で活躍する気鋭の演出家ウォーリー木下氏。脚本は、2.5D舞台では演劇『ハイキュー!!』のあと、舞台『黒子のバスケ』の脚本・演出も手がけている中屋敷法仁氏である。今回は、演出を手がけたウォーリー木下氏にお話をうかがうことができた。

2.5次元の地平の先へ――ハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!!』“頂の景色”の演出家ウォーリー木下さんに聞く

※文中にはいわゆるネタバレが含まれます。
※文中WKはウォーリー木下氏、ASは筆者の略称。

 まず、演劇『ハイキュー!!』で演出をされたウォーリー氏に、率直に2.5Dのイメージについてうかがうと、コンビニなどで2.5D関係の新聞を目にしたり、大阪の稽古場の近くでコスプレシューティング(撮影)している人々を見かけたりするという程度で、特に意識していなかったという。それならば、漫画『ハイキュー!!』の舞台化の依頼に戸惑いはなかったかうかがうと、「それはなかった」ときっぱり。

ウォーリー木下さん

WK:最初に「2.5Dミュージカル」の枠組みのなかで作りたいわけじゃなくて、(略)もっと画期的な、ウォーリーがやりたいと思っている、演劇のもう一歩先というか、演劇は演劇であるんだけども、現在進行形で進んでいるいろんなテクノロジーであるとか、メディアアートみたいなものと、人力を使ったもの(略)を『ハイキュー!!』でやらないか、っていう話だったんです。

 実際、プロジェクションマッピング、ライブカメラ、漫画のコマを使ったスチール、漫画のコマを画面分割に使って背後のスクリーンに投影……など、舞台上であらゆるテクノロジーが使用されている。「人間の身体=実体」が「漫画のコマ=虚構」と交じり合った映像は、実写映画のスクリーン上ではCG技術を使用すれば不可能ではない。しかし、演劇『ハイキュー!!』の卓越したところは、劇場という観客が内包された3次元の閉鎖空間で、身体性を感じる生身の役者の身体表現と、あらゆる種類の映像との巧妙なハイブリッドが展開し、不思議な異空間が演出されている点である。したがって、観客は3次元感覚(物理的な現実認識)と2次元感覚(想像的な虚構認識)をかろうじて隔てていた境界に対する認識が麻痺し、自分がいつのまにかその異空間に入り込んでいる感覚に陥る。しかも、テクノロジーを使った演出だけでなく、白いベールをかぶった黒子が、音楽に乗って日向のアタックのときの跳躍を支えて持ち上げるという、アナログ的な演出なども多数ちりばめられていて、まさに3次元と2次元を行ったり来たりする感覚に包まれるのだ。こうした漫画のコマを使用する意図や表現したかった思いをうかがってみた。

WK:漫画をテキストにして、舞台化しようって思ったときに、普段僕がやる作業としては、なんというか、手術みたいに1個1個取り出して、横に並列してばーって並べるんですよ。作業としては。(略)それをもとに役者と一緒に共同作業するんですけど、わりと僕、集団創作が多いんですよ。演出家が立って、右行って、左行ってとかってじゃなくて、俳優さんと一緒に、こういうものがあって、これをじゃあ、セリフで読んでみてほしい、もしくは逆にセリフで読まずに体で表現してほしい、っていうのもやったりとかする集団創作っていうのをやって、(略)その作業のなかで、漫画のコマ割りっていうのが、すごく興味が出てきちゃって、(略)いやこれはこのまま使ったほうが面白いって、あるとき思ったんですよ。なんでそう思ったのか記憶はあまりないんですけど、とにかく直感で思って、漫画のコマ割りのなかに、実際の役者のリアルな顔を、今回の再演の場合、生カメラで入れたりしてるんですけども[AS:あれはとても面白かったです]。要するにリズムなんですって、コマって。(略)じゃ、リズムであれば、演劇もリズムが8割くらいだと思っているので、リズムのなかで音が出てくれば、ドンって使い方すれば、何か新しいものにならないかなと思ってやってみました。だから、『ハイキュー!!』を舞台化するうえで、あのコマのリズムみたいなものとかデザインというものが、有効に生きるんじゃないかなという判断で、選択したうちの一つです。

解体作業、ポエトリー化、そして……

 ウォーリー氏はさらに、原作を「ピンセットで1枚1枚剥がすような」という解体作業、そして「いったん抽象化する」=“「ポエトリー」(詩情)化”し、「具体化」=再構築していく、という興味深い創作プロセスを語ってくださった。

WK:漫画を立体化したいわけでなくて、その漫画を演劇化したいわけなんですよ。演劇化するって何かっていうと、1回抽象化することだと思うんですよ。(略)たとえば、わかんないですけど、少年時代のもやもやした葛藤みたいなものがあったとして、この2人[日向と影山]がもしかしたら双子かもしれないと。同じお母さんから生まれてきた2人がいまこうなっているかもしれないと。……わかんないですよ、でもそうやって抽象化していくというか。たとえば、太陽と影。たとえば、彼が太陽で、彼が影だったら、その真ん中に誰かいるんじゃないか、つまり物体がないと影ができないじゃないかとか、そうやって1個1個、あえてポエトリーにしていくというか、ということを1回して、それをさらに具体化することで演劇ってできると僕は思っていて……

 おそらく、それは抽象的世界観を作り上げていく、まさに虚構を具象化していく緻密な作業なのだ。その結果として選ばれたテクノロジーの使用とアナログな身体表現のハイブリッドが絶妙な加減で、再演パンフレットでウォーリー氏が「『ハイキュー!!』の根っこに近づきたかった(5)」と言及しているとおり、“根っこ”というまさに根幹に流れる精神(ルビ:エーソス)を表現しているのだろう。
 また、ウォーリー氏は声についての演出は高低や速度以外は役者におまかせだったとのこと。アニメの声優の声はキャラクターを同定させるひとつの重要な要素だが、たとえ声が声優に似ていなくても、役者がキャラクターとしてすでに現前してしまっているのは、「『ハイキュー!!』の根っこ」を中心とした世界観が忠実に再現されているからだろう。実際、2.5Dものに特有の「○○君そっくり!」というファンの感想が「Twitter」で多く見受けられたので、声や動作をアニメに寄せている演出もされているかもしれない、という筆者の予測は見事に覆された。

1ミリ、1秒という計算された動き

 しかし、だからといって役者が完全に自由に表現しているというわけではないという。やはり、プロジェクションマッピングやライブカメラを成功させるには、非常に高度な技術が要求される。

WK:実は(舞台)『ハイキュー!!』って立ち位置とか、このカウントでここに立つとか、このカウント内でジャンプするとか、1ミリずれたらダメですっていう感じの制限がとても多い舞台で、役者にかかっているストレスは大きくて、まあ、さらに八百屋(6)だし、本物のボールも出てくるし、そういうふうにしたんですね。それは難しい決まりごとで毎回本番をやることで、つまり、手の抜ける本番にしたくないというか、ちょっとでも気が緩んだら事故るっていうのを全員が認識して(やってもらっています)……スポーツってそうじゃないですか。(略)
AS:緻密な計算があるんですね。
WK:そうなんです。(略)だからキャラクターが自由に見えるなかで、本当に100%なりきって演じてたら、絶対できないんですよ。っていうたぶんそれが、見てる側からすると、あの人たちは自由にやってるなあ、と逆に思われるんじゃないかと思うんですよ。本当に自由にやっていると、あんまり自由に見えない……なんか変な言い方ですけど。

 束縛があるからこそ、生き生きとしたキャラクターが現前する。あの不思議な空間は、抽象化(ポエトリー化)を通って具現化した世界観のなかで、緻密に計算された立ち位置やタイミングがすべて組み合わさったところで実現しているのだ。筆者が体験した(おそらく多くの観客も体験しただろう)舞台を観たときの緊張感と感動は、こうしたなかで生まれていた。

つねに予想を超えていく

 2.5D舞台/ミュージカルのファンの行動として、休憩や終演後すぐに感想をツイートするというのも一つの特徴だが、最後に、観客の反応についてうかがってみると、あまり見ないとのことだった。

WK:逆にお客さんが、次に音駒高校が登場したらマッピングでこんなことやるんだろうなとか、仮に書いていたとしたら、絶対それをしたくないと思うんですよ。だって、予想していたものが舞台上に出てきても、お客さんは何の感動もないし、だからたぶんある程度そこは超えていかないといけないと思うから、大変だなと思うんですけどね。

 私たちの予想を越えて進化する演劇『ハイキュー!!』。大千秋楽5月8日のライブビューイングで、新作ハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!!』“烏野、復活!”の発表がおこなわれた。今年の秋に、またあの不思議空間に迷い込める。

【謝辞】
ご多忙にもかかわらず、インタビューを快諾してくださったウォーリー木下様に、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。また、関係者のみなさまに大変お世話になりました。心から感謝いたします。


(1)2016年には10年ぶりに新作が上演予定。
(2)ただし、担当キャラクター以外でキャストされた声優もいる。
(3)どの2.5D舞台でも、物販で中身がわからない缶バッチや生写真セットが販売されていることが多いが、同じものがかぶると公演前後のロビーや屋外でトレードが自然とおこなわれている。
(4)藤原麻優子「「なんで歌っちゃったんだろう?」――二・五次元ミュージカルとミュージカルの境界」「ユリイカ」2015年4月臨時増刊号、青土社、68―75ページ
(5)ハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!!』“頂の景色”再演パンフレット、42ページ
(6)傾斜がついた舞台のこと。八百屋の店先の傾斜がついた台に野菜が並んだ様子から。

 

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