第53回 招待席に巣食う妖怪たち

 たまに「仕事柄、たくさん演奏会に行けていいですね、うらやましい」などと言われることがある。年間を通じて数多くの演奏を、用意された招待席で聴けるのは業界関係者の特権でもあるだろう。でも、これが決していいことだけではない。私はむしろ、最近ではこの席に座ることが非常に苦痛になってきた。行けばまた不快になると思うと、足を運ぶ意欲を極端にそがれる。それは、このなかに巣食う妖怪たちのせいだ。彼らは決してお行儀よく演奏を聴いてくれないからだ。特にいやなのが、メモ魔という妖怪である。自分の前の席で、演奏中にひたすらメモをとられると、常にちょろちょろと動く物が視界のなかに入ってくる。それだけならまだましである。カバンや胸のポケットにあるメモ帳を何かあるごとに頻繁にガサガサと出し入れするし、それに合わせてカチカチというボールペンのノックの音や万年筆のキャップの音など、とてもうるさい。
 彼らはどうやら、演奏会評という仕事のために、ここに巣食っているようだ。だから、注意すると、仕事のためにやっていることだ、仕方がないと開き直ってくる。
『クラシック100バカ』(青弓社、2004年)にも書いたが、あるときあるメモ魔を注意したのだが、そいつは顔をぬーっと突き出して、「あのう、ボク、バカなんです」とのたもうた。
 5月30日(金)、日本フィルの定期演奏会(サントリーホール)で、私はまた新たな妖怪に遭遇した。以前にも何度か見かけたメモ魔である。いい年の男性だ。彼は例によって演奏が始まって1分もしないうちにペンを走らせていた。またか、と思った。すると、カバンの中に赤いランプが見える。途中からこのランプがチラチラと目に入るようになり、ペンを走らせる動きと相まって、実にうっとうしい。言うまでもないが、微弱と思われる光でも本番の最中だとかなり明るく目立つ。私はたまらず休憩時間になって、その人物に文句を言った。そのときの会話は以下のようなものである。
「あの、すみません、その赤いランプは何ですか?」
「あ、これはメモをとっているんです」
「そうじゃなくて、その赤いランプは何ですかと聞いているんです」
「批評の仕事をやってるんで」
「はあ? あんた録音してるんでしょう?」
「これはね、誰にも言ってないんだよ」
「言わなきゃいいってことじゃないでしょ! 違法行為じゃないか!」
(その後、事情を話したところ、事務所の担当者が血相を変えてこの男性の席へ急行、この男性の姿は後半にはなかった。)
 この男性はメモをとると同時に録音もして、完璧な批評に仕上げたかったのだろう。以前にも書いたが、メモをとっている瞬間は耳のほうがおろそかになっている。全く聴いていないとは言えないが、でも、注意力は間違いなく落ちている。つまり、まっとうに聴いていなければ、まともな演奏会評など書けるわけがないのだ。なぜ、ここを理解できないのだろうか。あと、別の理由として考えられるのは、メモをとる行為を堂々とおこなうことによって、自分は他人よりも真剣に聴いているそぶりを見せたがっているのかもしれない。
 スコアを持参してくる連中も困りものだ。特に速いテンポの部分になると、それに応じてページをめくる速度もどんどん速くなっていくので、これまた目障りである。
 このような状況だから、本当に自分で聴きたい演目はチケットを購入して聴くことにしている。そうした際にもときどき困った人に出会うが、彼らはそれとなく注意するとちゃんとわかってくれる。でも、妖怪たちはわかってくれない。
 1980年代、私がこの業界に入った頃には、招待席にはこんな妖怪たちはすんでいなかったように思う。ところが、最近はうようよいるのだ。先ほど触れたメモ&録音妖怪は、いまもなおほかの演奏会ではせっせとメモし、録音をしていることだろう。そして、自宅にたまったメモ帳と録音のコレクションを見て、ほくそ笑んでいるに違いない。この妖怪たち、いったい誰が退治してくれるのだろう?
 とても、私1人の手には負えません。

(2014年7月20日執筆)

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