第48回 日本ムラヴィンスキー協会の天羽健三さん逝く

 日本ムラヴィンスキー協会の事務局長だった天羽健三(あもう・けんぞう)さんが2014年1月23日、76歳で永眠された。
 私が天羽さんと初めて会ったのは、2000年の初頭だと記憶する。以後、もっぱらエフゲニー・ムラヴィンスキーを中心に、ヤンソンス親子やレオニード・コーガンなど、主に旧ソ連関係のアーティストについての情報交換を通じてお付き合いがあった。柱となっていたムラヴィンスキー協会は、話題が底をついた状況ゆえに近年は休止状態になっていたが、その代わりにかつてムラヴィンスキーの通訳を務めていた河島みどりさんのトーク・イベントを開催するなど、地道な活動を続けておられた。昨年の夏前だと思うが、河島さんのイベントでお目にかかった際には普段と全く変わりない様子だったが、秋には急遽入院したと聞いた。しかし、11月には退院されたとの知らせを受けたので、私は暖かくなった頃にご連絡を差し上げようと思っていた矢先に訃報が届いた。
 天羽さんの最大の功績は、ムラヴィンスキーのディスコグラフィとコンサート・リスティングを制作したことだ。ディスコグラフィは最初に協会の会員用として配布後、自費出版など何回かの改訂を経ている。その間に録音データの精度は増し、世界各国で出たディスクの情報を限りなく収集するだけではなく、個々のディスクを試聴して多くの誤表示も指摘してあった。一方、コンサート・リスティングは、わざわざロシアにまで足を運び、あまり整理されていない資料のなかから必要な記録だけを抽出するという、非常に困難な作業を経て完成されたものだった。これも、ディスコグラフィ同様、何回か改訂されているが、双方の最終形は天羽さんご自身が訳したグレゴール・タシー『ムラヴィンスキー――高貴なる指揮者』(〔叢書・20世紀の芸術と文学〕、アルファベータ、2009年)の巻末に収められている。この本は本編ともども、ムラヴィンスキーを語るうえでは最も重要な資料だろう。
 私はたまたまムラヴィンスキーの生演奏を2回聴いたということで、ムラヴィンスキーについて書く機会をいくつも与えられてきた。その際、天羽さんのディスコグラフィとコンサート・リスティングがどれほど役に立ったかは語り尽くせないほどだ。これまで偉そうな顔をして書いてきたけれども、この2つの偉大な資料がなければ、ほとんど自分では何もできなかっただろう。改めてこの天羽さんの労作に、心から感謝する次第である。
 最後に、天羽さんのごく大まかな履歴を。生まれは1937年、韓国の釜山。高校まで和歌山で過ごし、京都大学入学後は機械工学を専攻。その後、東芝で原子力発電の設計に30年間従事。聞くところによると、東日本大震災による原発事故は天羽さん自身にとても大きなショックだったようで、ときおり「自分が何かできることはないか」と漏らされていたようだ。
 2月2日、天羽さんの葬儀がおこなわれた夜、そのときは珍しいくらいの濃霧だった。視界が非常に悪かったために電車のダイヤは大幅に乱れ、タクシーもまるで手探りのような運転だった。深夜、そんななかを歩いていると、いつもの風景が全く別物に見えた。それはまるで、異国をさまよっているかのようだった。偶然だったのかもしれないが、私にとっては忘れられない別れの夜となった。

(2014年2月5日執筆)

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