オペレッタの楽しみを伝えたくて
――『オペレッタの幕開け――オッフェンバックと日本近代』を書いて

森 佳子

「あとがき」にも書いたように、本書は、2014年に出版した私の前著『オッフェンバックと大衆芸術――パリジャンが愛した夢幻オペレッタ』(早稲田大学出版部。博士論文をもとに書いたもの)の「続篇」である。着想から2冊の本の完成までにかなりの年数がかかってしまったが、17年になってやっと出版することができた。
 最初にテーマの着想を得たきっかけは、次のようなものである。オペレッタの創始者ジャック・オッフェンバックの名は日本でも有名で、最高傑作の一つ『地獄のオルフェウス』に挿入される「フレンチ・カンカン」の音楽だけを知っている人も多い。若い世代でさえ、この曲を「運動会の音楽」として認識している。私にはその点が気になった。明治時代から主にドイツのクラシック音楽の影響下にあった日本で、なぜあの曲が昔から知られているのか、不思議だったのだ。
 それに加えて、オッフェンバック作品のすばらしい上演に巡り合ったことが、このたびの執筆に大きな影響を与えている。まずは15年以上さかのぼるが、パリのオペラ・バスチーユで『ホフマン物語』を初めて観て、大きな憧れを抱いたことがその始まりだった。印象的で洗練されたメロディー、時空を行き来し、夢と現実の境が見えない物語構成の面白さ、人形や悪魔あるいは音楽の女神ミューズなどの魅力的な登場人物たち……あの「フレンチ・カンカン」と同じ作曲家の作品とは信じられず、これをテーマに何か書いてみたいと思った。
 そして2007年になって、パリのオペラ・コミック座でオッフェンバックのオペレッタ『ラ・ペリコール』を観て、大きな衝撃を受けたことがあった。本書でも触れた、ジェローム・サヴァリによる「ミュージカル風」演出の上演である。サヴァリはジャズをかなり勉強した人らしいが、このときに使っていた音楽には大変驚かされた。オッフェンバックのオリジナル音楽に、ジャズやロックが交ざったようなアレンジを加えていたと記憶しているが、物語の舞台がペルーということもあってうまくマッチしていた(サヴァリ自身によれば、同時代の南アメリカの独裁政治を舞台で表現したという)。しかもそのうえ、オッフェンバックに扮装した「謎の人物」(小さな丸メガネに薄い頭髪、黒っぽい毛皮付きガウンといった格好)がたびたび舞台上に現れ、観客の笑いをとっていたのが印象的だった。ちなみに本書でも触れたが、彼自身に扮した人物を舞台に出すのは、20世紀初頭によくおこなわれた演出方法である。もっとも、こうした「翻案」上演は、オーソドックスなものを好む人には評価されないかもしれないが、当時の私にとっては新鮮な驚きだった。
 このようなかつての様々な体験のなかで、オッフェンバック作品が秘めている多彩な上演の可能性を見いだしたことが、博士論文と2冊の本の執筆に向かう出発点になっている。しかし博士論文では、オペレッタのように娯楽性が強いジャンルが受け入れられるかどうかわからず、困難な道になるだろうと予想した。だが、幸運なことにそれはうまくいき、学術書と一般書の両方を書き上げるにいたったのだ。
 博士論文と前著の執筆に際しては、オッフェンバックが晩年に影響を受けた「夢幻劇」の調査にかなり時間を費やしたが、後続の本書でもそうした地道なアプローチの姿勢は崩していない。例えば第3章「オッフェンバックとは何者か」では、オッフェンバックがテーマになったムーラン・ルージュのレビューに関して、パンフレットなどの一次資料を読み込んだうえで書いている(フランス国立図書館はまとまった数のパンフレットを所蔵していて、これらが役に立った)。また第6章「日本人とオッフェンバックの出合い」と第7章「花開く日本のオペレッタ」の日本のオペラやオペレッタ上演に関する項目でも、できるかぎり当時の雑誌などにあたったり、オペラ団体からパンフレットを取り寄せたりして、様々な資料に基づいてまとめている。ただし「浅草オペラ」に関しては、知られざる資料がまだまだ眠っていると思われ、十分な情報が得られたとは言いがたい。私にとってはそれが心残りだが、これらが世に出てくることを切に願っている。
 さらに今回の執筆では、次のような点でも苦労した。まず論文から一般書に書き換える際には、かなり工夫しなければならない。例えば、学術の世界で説明が不要のことでも、一般書の場合はそれが必要になる。なおかつ、丁寧で簡潔な表現でなければならない。同時に、単なる「オッフェンバックの伝記」にとどまらない、多くの読者が興味を持てるような構成にしたい。ある意味では、前著を一歩でも乗り越えたいという気持ちもあり、正直言って完成するまでの道のりは平坦ではなかったと思う。
 おそらく、いわゆる「研究書」と呼ばれる本のなかには、専門家だけでなく一般の読者や大学生にも面白いと思えるテーマがたくさんあるだろう。しかも書き方や構成の工夫次第で、それらはもっと興味深く、読みやすいものになると思う。今回はその点で、青弓社にずいぶんサポートしてもらった。私にとってはこれが貴重な第一歩である。

 

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